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上総守が行く!(二代目)

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2018年 03月 05日

『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1

(本ブログは兄弟ブログ「龍人鳥の徒然フォト日記」より転載、再編集したものです)

3月4日(日曜)、晴れ。
史跡めぐりの相棒、武衛さんと古墳めぐりに出掛けた。

今回の古墳めぐりのメインは、上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳と荏原古墳群(田園調布古墳群・野毛古墳群の総称)の中で最大規模の前方後円墳である亀甲山古墳として企画した。

今回の古墳めぐりのコースは;
JR南武線西府駅
~武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市西府町2丁目)
~御岳塚(東京都府中市西府町1丁目)
~高倉塚古墳(東京都府中市分梅町1丁目)
~分倍河原古戦場碑(府中市分梅町2丁目)
~多摩川サイクリングロード
~田園調布古墳群/蓬莱山古墳・多摩川台古墳群(円墳8基)・亀甲山古墳(東京都大田区田園調布1丁目)
~多摩川台公園古墳資料室(同上)
~東急多摩川駅

JR西府駅改札階コンコース。
「飛鳥時代の古墳が現代に蘇る 国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 当駅北口から600m」の堂々の看板。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_11354335.jpg
JR西府駅北600m、旧甲州街道に出る。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_11403941.jpg
府中熊野神社の鳥居、「国史跡 武蔵府中熊野神社古墳」と大書された立て看板が見える。
左手の建物は展示館。

府中熊野神社。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_11503668.jpg
社殿の背後に古墳の裾が僅かに見えている。

国史跡 武蔵府中熊野神社古墳。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_11564172.jpg
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武蔵府中熊野神社古墳は、7世紀の中頃の飛鳥時代に築造された、上が丸く、下が四角い上円下方墳(じょうえんかほうふん)である。
古代の中国では、天はドームのような半球形で、大地は四角いものと信じられていた。
この考えを「天円地方(てんえんちほう)」というが、このような宇宙観や思想を背景として築造されたと考えられている。
(現地説明板より抜粋)
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上円下方墳を半時計回りで一周する。

北東角。
この角度から見ると、上円下方であることが一目瞭然。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_12045092.jpg

西側から。
左後方に見えている塔は東芝府中事業所内のエレベーター試験塔。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_12081585.jpg
この写真は、以前、東芝府中事業所に勤務していた極々親しい人への思いも込めての写真でもある。

南西角。
『武蔵国史跡めぐり/武蔵府中熊野神社古墳(上)』 mk-1_a0289546_12454713.jpg

見事な復元古墳である。

復元は盛り土整備までで、葺石は<邪道>と思っていたこともあったが、2016年の秋、保渡田古墳群の、葺石が施されて見事に復元されている八幡塚古墳を見学して以来、そうした考えを持つことは止め、葺石復元、大賛成に転じた。

そんなこともあって、葺石が施し、見事に復元した上円下方墳に感動を貰ったのであった。

次は、隣接の展示館へ。
どんな解説があるのか、楽しみ、楽しみ...。

フォト:2018年3月4日

(つづく)

by kazusanokami-2nd | 2018-03-05 23:51 | 武蔵国史跡めぐり


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