2015年 10月 23日
土橋から藤代宿に向け、旧水戸街道を走る。 土橋からの旧街道はほぼ真っ直ぐである。 JR常磐線踏切、県道208号、県道251号を横切り、しばらく走ると右手に古風な趣きの家が見えて来た。 坂本呉服店の角を右折すると藤代宿が始まる。 坂本呉服店の角はほぼ90度に折れ曲がるという、面白い道の作りだ。 建立は極めて古く元享元年(1321年)6月といわれ、安政2年(1855年)火災焼失、慶応3年(1867年)に再建される。 社殿の材質は総けやき造り、屋根は銅板葺流れ造り、向拝柱に見事な竜の彫刻があり、大床下や三方の壁面脇障子全体が豊麗な彫刻で飾られている。 社殿全体の豪華さは、町内にある社殿の中でも群を抜いている。 明治40年、八坂神社・富士神社を合祀して相馬神社と称した。 元八坂神社は、藤代・宮和田両宿の総鎮守であった。 --------------------------- 由緒書きの柱の更に先に見える緑色の土手は小貝川の堤である。 土手の上は小貝川サイクリングロード、幾度か走った馴染みのあるサイクリングロードである。 由緒書きにある「藤代・宮和田両宿」については後ほど述べることとしたい。 境内から藤代宿の西の入り口を眺める。 ほぼ、一直線である。 通りを走り、藤代公民館へと向かう。 事前の調べで、本陣跡は藤代公民館になっているという。 左手に藤代公民館が見えて来た。 藤代公民館。 旧藤代町指定文化財史跡 藤代本陣跡 昭和48年11月1日指定(平成17年3月合併時指定解除) 藤代本陣は天正・文禄の頃(1573~94)この地におかれ、名主であった飯田三左右衛エ門(横瀬主膳正繁の長男で、もとの名を刑部庸氏という)の子孫が代々勤めた。 本陣は、貞治2年(1363年)、足利義詮が京都にのぼるさい、宿舎に宿札をかかげて本陣と称したのが、その始まりといわれる。 江戸時代には各宿駅におかれ、参勤交代の大名・公卿・幕臣が宿泊した。 藤代本陣は、水戸街道(陸前浜街道)藤代宿の本陣である。 建物は、昭和30年2月、町村合併による庁舎建設のため取りこわされた。 当時、木造茅葺造りの質素なものであった。 唐破風造りの玄関は本陣の威容をとどめていた。 現在、この百日紅と中央公民館脇の老松は、本陣玄関前にあったものである。 取手市教育委員会 ----------------------------- 「昭和30年2月、町村合併による庁舎建設のため取りこわされた」とある。 「藤代町、昭和30年」で検索したところ、ウィキペディア「藤代町」にヒット。 ----------------------------- 藤代町。 江戸時代は相馬領二万石と言われた農村地帯。水戸街道(陸前浜街道)の宿場町藤代宿を中心に栄えた。 1955年(昭和30年)2月21日 - 北相馬郡相馬町、山王村、六郷村、高須村の一部、筑波郡久賀村の一部が合併して成立。 町名の由来は藤代宿からである。 ------------------------------ 旧藤代宿本陣が残っていないのは残念なことだ。 昭和30年、歴史的建造物を残すよりも庁舎建設が優先された、そんな時代だったのかもしれない。 10日ほど前に旧取手宿本陣を見学したばかりでもあり、往時の藤代宿本陣の姿を想像するのであった。 本陣玄関前にあったという老松。 このまま、サイクリングロードを走って行きたい気分になりそうになるが、土手を下り、旧水戸街道探訪に戻る。 旧本陣跡の句碑。 たんぽぽに 照る陽 曇る日 陣屋跡 雨城 雨城とある。 調べてみた。 元・茨城県俳句協会長、野竹雨城さんとあった。 公民館を出ると右手にデイリーヤマサキがあった。 小貝川サイクリングロードを走っているとき、時々、昼餉を調達したことがある店だ。 そのときは、藤代の宿場町そのものにいるなんていう意識は全くなかった。 店はシャッターが降りていた。 定休日なのか、閉店したのか...。 町内案内図(メモ:左肩に赤い文字で「茨城県取手市宮和田 片町 藤代案内図」と書かれている)。 宿場町の通りの形を説明するのに丁度よいと思い、カメラに収めた。 宿場町の通りは、町内案内図の下段の、左から右に下がり、最下端から右へ上がって行く黄色い、細い線の部分である。 更に調べたところ、「逆への字型」の西側が<藤代宿>、東側が<宮和田宿>であることが分かった。 何故、「逆への字型」になっているのかと思っていたが、この町内案内図を見て分かったような気がする。 即ち、小貝川の蛇行した形(案内図の水色の線)に沿って宿場の通りが形作られていると思ってよさそうである(小貝川はよく氾濫を起こしていたというので、蛇行の形はその都度変わっていたということも想像されるが、通りの形からして蛇行の形はほぼ固定されていたと思われる)。 藤代宿の西端、坂本呉服店があった角も、この町内案内図で、ほぼ90度で折れ曲がっていることが確認できる。 資料によると、「逆への字型」の左側が<藤代宿>、右側が<宮和田宿>となっている。 藤代宿は<藤代宿>と<宮和田宿>の2宿でひとつの宿駅の機能を持っていたのである。 更に宿場の通りを進む。 フォト:2015年10月18日 (つづく)
by kazusanokami-2nd
| 2015-10-23 21:01
| 旧水戸街道ポタリング
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