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上総守が行く!(二代目)

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2015年 11月 18日

『美藤姓ゆかりの地を訪ねて/柞田町 美藤神社の巻(上)』 bt-2

第1話で綴った通り、昨年11月、岡村島で美藤姓や美藤神社のことを知った。

本年4月、讃岐在の義兄の案内で、観音寺市柞田町を訪ねた。
柞田川を渡り、一般道から南に向かう道に入る。
一人の男性に出遭ったので、美藤神社の場所を尋ねた。
有難くも、美藤神社に案内してくださるという。
道すがら、この地を訪れた訳、即ち、昨年秋、岡村島を訪ねた際、コテージシーガルのオーナー、美藤さんから聞いた話を縷々話しながら美藤神社へと向かった。

美藤神社。
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美藤神社建立寄附芳名標。
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当然のことながら、刻まれた芳名はすべて美藤さんである。
地元の美藤さん達の名に加え、北海道の美藤さんや今治の美藤さんの名も刻まれている。
北海道の美藤姓を見て、昨秋、岡村島で「明治時代、観音寺市の美藤一族の中から開拓団として北海道へ渡った美藤氏もいるという」と聞いたことを思い出した。
今治の美藤さんは岡村島のコテージシーガルのオーナーの美藤さんであることは申すまでもなきことかと。

常夜燈。
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常夜燈には明治2年と刻まれている。
平成19年と刻まれた献燈と対になり、喜んでいるように思える。

以前の社殿が鎮座していたのは左手の電柱の辺りであった、と案内をいただく。
新社殿は写真右手の電柱の辺り。
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以前、鎮座していた方向から今の社殿を眺める。
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美藤神社の斜め向かいの、観海山善正寺。
檀家は勿論、この地の、美藤氏。
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案内してくださっている美藤さんに加え、今、資料のコピーを準備していますんで、と新たな美藤さんも登場。
皆さん、美藤さんなので、御無礼ながら出会い順にアルファベットを付させていただく。
美藤Aさんが隣近所の美藤さんらに携帯電話で声掛けをしてくださり、美藤Bさんと美藤Cさんの登場となった。
有難いことである。
左から、美藤Cさん、美藤Bさん、美藤Aさ、義兄。
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善正寺を眺めながら、この地の檀家寺院の名は善正寺、岡村島の檀家寺院の名は善照寺、「正」と「照」で文字は異なるが、寺の名には相通じるものがある、との案内をいただく。
これらの寺の名は岡村島と柞田町の美藤姓の繋がりの証ということであろう。

「向こうの学校がある辺りの岡に対し、ここら辺りは北にある岡で『北岡』という地名になっています」と案内をいただく。
南の方に目を遣る。
学校の建物、そして、その彼方に雲辺寺山が見える。
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いつぞや、雲辺寺山頂の四国八十八箇所第六十六番札所の雲辺寺を参拝したことがある。
境内は徳島県と香川県の県境であったと記憶する。
この機会に念のために調べてみた。
やはり、県境であった。
お寺そのものは徳島県で、住所は徳島県三好市池田町白地ノロウチとなっている。
この「白地」という地名に目を惹かれた。
後ほど、詳細は述べることとするが、美藤姓の出自には諸説ある中、そのひとつとして「阿波池田の白地城の武将...」という説があり、白地と柞田町との地理的関係からも斯様な説があるというのは頷ける気がする。

学校とその彼方の雲辺寺山をアップで。
確かに、学校は少し高台に建っている。
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目を転じ、今、我々のいる北岡の善正寺の方に目を遣る。
善正寺の石垣の様子から、道は徐々に軽い上り坂となっており、この辺りが「北岡」であることがよく分かる。
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資料のコピーを準備してくださっているという美藤Bさんのお宅にお邪魔する。
玄関先は小生の仲間内で言うところの<おうち居酒屋>風の設え。
そこに談笑していたところへ書類袋を手にされた御仁が現れた。
美藤Dさんである。
左から、美藤Dさん、美藤Aさん、美藤Bさん(アルファベットは出会い順で)。
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美藤Dさんが持ってこられた書類袋の中には美藤氏のルーツに関わるいろいろな資料が。
それらの資料をひとつずつ拝見する。
いろいろな資料のうち、ふたつの資料のコピーを頂戴した。
そこには美藤氏のルーツに関わる調査や諸説が縷々記されている。
詳しくは続編にて触れることにしたい。

美藤Bさんが持って来られた木彫りの家紋。
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本ブログ編集中に、その置き方が上下、逆であることに気付いたので、切り抜きして180度回転させたものがこれ。
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美藤氏の家紋についても続編で美藤姓のルーツを綴る中で再度触れてみたい。

美藤神社の見学だけでもと思い、柞田町を訪問したのであったが、美藤神社のみならず、美藤Aさん、Bさん、Cさん、Dさんとの歓談で美藤姓のルーツなどを直接お聞きすることが出来、、『街道』をゆく』の司馬遼太郎さんの如き気分を味わうことが出来た。
柞田町の美藤さんたちに感謝、感謝の数時間であった。

フォト:2015年4月2日

(つづく)

by kazusanokami-2nd | 2015-11-18 23:58 | 美藤氏ゆかりの地を訪ねて


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