2016年 11月 27日
11月26日、上野国史跡めぐり第二弾/保渡田古墳群探訪。 二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の三つの前方後円墳が集積する古墳群。 先ず、葺石と埴輪は施し、復元された八幡塚古墳をめぐった。 前話では、八幡塚古墳の姿を20枚の写真と共に綴った。 ここでは、「八幡塚古墳とは」について、説明板に従って綴っておきたい。 「史跡 保渡田古墳群 八幡塚古墳」。 史跡 保渡田古墳群 八幡塚古墳 国指定史跡 保渡田古墳群とは 榛名山東南の麓、群馬県群馬町保渡田・井出にある3つの前方後円墳の総称。 いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳である。 5世紀後半に、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示している。 八幡塚古墳の復元整備 かつて、この古墳は大きく削られていた。 そのため、史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って、造られた時の姿に復元し、活用することが決定された。 5ヵ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳の保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元整備した。 ----------------------------------- 説明書き/中央。 今から1500年前につくられた八幡塚古墳 八幡塚古墳は、南東1kmにある三つ塚Ⅰ遺跡(巨大な館)に住み、榛名山東南麓・井野川流域を治めた豪族の墓である。 当時、群馬県地域(上毛野、かみつけの)は国内でも有力な地域であった。 八幡塚古墳の被葬者は、古墳の充実度からみて、この頃、上毛野各地に勢力を持った豪族達のなかでも代表的な人物であったと考えられる。 ■規模・構造 墳丘は全長96mで3段に造られ、斜面は葺石で飾られている。 周囲には、内堀・外堀・外周溝が巡り、それらの間には内堤・外堤が設けられる。 墓域の長さは約190mに及ぶ。 内堀の中には4つの島(中島)があり、この古墳の特徴となっている。 ■埴輪の充実 この古墳には、たくさんの埴輪が並べられていた。 外界との垣根である円筒埴輪は、幾重にも列をなして並べられ、その数6000本と推定される。 内堤上の2ヵ所には人物・動物埴輪を置く区画(A区画・B区画)があり、各々50体以上が並んでいたと考えられる。 これは、一つの古墳では最多級で、かつ、配列状態もわかる重要な資料である。 ■埋葬施設 遺体を納めた施設は、後円頂部に2ヵ所存在した。 後円部の中心に船形石棺が据えられた。 古墳を築いた豪族本人の棺であろう。 その脇には竪穴式石槨(せっかく、木棺を石で囲んだもの)も発見された。 近親者の埋葬施設であろう。 ●この古墳に関する情報・遺物は南側の「かみつけの里博物館」に展示されている。 ----------------------------------- 二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の配置。 全幅 148m 墳丘長 96m 墳丘、舟形石棺 中島、内堀、内堤、外堀、外堤、外周溝 A区形象埴輪配列区 B区形象埴輪配列区 凡例 ・ ・ ・ ・ ・ 円筒埴輪列 ・・・・・●・・・・・円筒埴輪列 ▲ 盾持人埴輪 「中島」。 中島 この古墳の内堀の中には4ヵ所の中島が造られた。 内堀を掘った時に島の部分だけを残し、若干の盛り土をして2段に整えられた。 回りには円筒埴輪が巡らされ、碗などの土器が多量に出土した。 中島の性格は、 ①古墳における祭祀の場 ②近親者や従者の埋葬施設(陪塚) などが考えられるが、いまだ明らかになっていない。 -------------------------------- 後円部舟形石棺に関する説明書き(抜粋)。 配置図。 第1埋葬部 舟形石棺/第2埋葬部 竪穴式石槨(明治時代に発掘・破壊)。 石棺の原材料は輝石デイサイト室軽石凝灰岩という柔らかい石である。 この層は高崎市西部の丘陵を中心に広がっている。 この層から切り出し、粗加工された石棺は最低でも7km以上の道のりを運ばれたきた。 そして、古墳の近くで最終仕上げを行って、ここに置かれたのである。 -------------------------------- 「何人が埋葬されたのか」。 何人が埋葬されたのか この石棺は盗掘されていたため、棺内の埋葬人数は分からない。 石棺のうしろ(南側)にはこれよりあとに作られたもう一つの埋葬施設(木棺を石で囲った竪穴式の石槨)があった。 したがって、この古墳には二人以上が埋葬されていたわけだが、石棺が中心人物のもので、石槨はその近親者を葬ったものだろう。 -------------------------------- 「何が出土したか」。 何が出土したか 石棺は蓋が割られ、完全に盗掘されたいたが、小さな玉だけが取り残されていたが。 棺の右脇の石組み空間からは鉄製の農耕具のミニチュアが出土した。 貴重な鉄を独占した王の祭祀用具である。 第2埋葬部の跡からは、太刀、玉、甲(よろい)の破片等が出土している。 第1埋葬部 舟形石棺 石棺周囲 ガラス小玉、ガラス勾玉、碧玉管玉 石組空間 鉄製農耕具模造品(鎌、斧、鋤先)(鉇、鋸、鉸具、刀子) 第2埋葬部 竪穴式石槨 桂甲小札、碧玉管玉、大刀、鉄鏃 出土伝承品 馬具(鉄地金銅張剣菱形杏葉)(鉄地金銅張 f 字形鏡板) =筆者注= ※鉇(やりがんな) 木材の表面を削り仕上げる工具で、断面が浅い三角状の槍の穂先に似た刃を木柄につけたもの。 ※鉸具(かこ) ①革帯などの留め金具。 革緒の端を通す鉸具頭(かこがしら)という鐶(かん)と、革緒の穴に通す刺鉄(さすが)とからなる。 帯・甲冑などに用いる。 ②馬具の部分の名。 -------------------------------- 舟形石棺の分布。 阿蘇石製の舟形石棺は白丸印、その他の石で作られた舟形石棺は黒丸印で示されている。 九州北部は阿蘇石製が圧倒的に多い。 ヤマトも阿蘇石製が多い。 瀬戸内(吉備、讃岐)はその他の石製が多い。 出雲、丹後、越前、上毛野は全て、その他の石製である。 墳丘と葺石。 墳丘は、堀を掘った土と近くから集めた土を盛り上げ、たたき締めて築かれた。 斜面には、榛名山東南麓の川から採取した石により「葺石」が施される。 上段・中段の葺石は、やや石の密度が高い状態で施工され、下段の葺石は間隔をあけて省略していた。 葺石のなかにみえる縦の石列は、一人ないし一斑の作業単位(工区)だと考えられる。 各段の平坦面のうち、中断平坦面には玉石が敷かれていた。 -------------------------------- 葺石工事の様子。 手前左下/薬師塚古墳。 保渡田古墳群の、殊に、八幡塚古墳を訪ねてみようと思った動機は、大きく言って二つあった。 いずれも復元ではあるが、一つは葺石、もう一つは人物・動物埴輪群像である。 葺石の姿は十分に見学した。 次は、A区形象埴輪配列区の人物・動物埴輪群像である。 人物・埴輪群像ついては続編にて。 フォト:2016年11月26日 (つづく)
by kazusanokami-2nd
| 2016-11-27 23:32
| 上野国史跡めぐり
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