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上総守が行く!(二代目)

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2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺から寄り道/布佐』 rk-5 

11月3日。
この日のポタリングのメインである「下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺」を終え、旧・本埜村(現・印西市)の「白鳥の郷」に立ち寄り、布佐方面へ。

布佐。
「岡田武松邸跡」へ武衛さんを案内。
岡田武松(1874-1956)。
千葉県東葛飾郡布佐町(現・我孫子市布佐)生まれの気象学者。
1899年、東京帝国大学物理学科卒業。
直ちに、中央気象台(現・気象庁)に勤務。
1905年、予報課長として日本海海戦当時の天気予報を出す。
この予報「天気晴朗ナルモ浪高カルベシ」は、連合艦隊から大本営宛に打電された有名な電報「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃沈滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の原典といわれる。
1919年、東北帝国大学教授兼任。
1920年、神戸海洋気象台初代台長に就任。
1923年、第4代中央気象台長(現・気象庁長官)に就任。
1956年、83歳で没す。

柳田國男ゆかりの地/布佐の巻。
茨城県北相馬郡利根町の柳田國男ゆかりの地は、以前、武衛さんほかドラポタのメンバーを案内したので、今回は布佐の柳田國男ゆかりの地めぐりを。

「凌雲堂医院」跡。
柳田國男の長兄、鼎は、1887年、茨城県北相馬郡布川町(現・利根町布川)で済衆医院を開業(現在、同院は「柳田國男記念公苑資料館」)。
その後、両親、國男、静雄が兵庫県神崎郡福崎町辻川から布川に転居、鼎と共に住む。
1893年、一家は千葉県南相馬郡布佐町(現・我孫子市布佐)に転居、鼎は凌雲堂医院を開業。
鼎は、のちに千葉県会議員、布佐町長、千葉県医師会長などを歴任。
國男(後に柳田家に入籍)は後に民俗学を起こすこととなるが、少年期に利根川を挟んで布川と布佐で過ごしたことがその遠因となっている。

詳しくは、2012年8月15日付けマイ・ブログにて。
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編&我孫子市編」第10話
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編&我孫子市編」第11話

竹内神社/石碑"IN MEMORY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS"。
松岡五兄弟(松岡鼎、柳田國男、井上通泰、松岡静雄、松岡映丘)のうち、布佐に住まいした松岡鼎、柳田國男、松岡静雄の名が刻まれている。

詳しくは、2015年6月25日付けマイ・ブログにて。
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/竹内神社の石碑」

この日の朝、往路、JR成田線布佐駅手前の宮ノ森公園にブルーの奇妙な小屋と思しきものがあるのを車窓から<発見>した。
宮ノ森公園は竹内神社下の線路沿いにある公園。
そこまで足を運んでみた。

あった、ブルーの奇妙な小屋らしきものが。
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標題と作者。
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千葉工業大学遠藤研究室(日本)
タイトル Unnatural mound
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宮ノ森公園ほか布佐周辺で「第19回 我孫子国際野外美術展」が開催されていたのであった。

公園内で、"Unnatural mound"以外の作品も鑑賞。
Adam Ulen(オーストラリア)/「失われた楽園よりさらに遠くへ-お茶をどうぞ」。
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埋もれた人が気になる。
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この作品を見て、数年前、中欧を旅したとき、スロバキアの首都ブラチスラヴァで見た、風変わりな像を思い出した。
アーカイブから引っ張り出してみた。
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「マンホールから出てくる男」、標題は確か”Man at Work”であったと記憶。
こうして二つの作品を見比べてみると、地面に埋もれている、地面から這い出ていると、地面が絡んだ作品ながら、そこから得る印象は全く異なるものであった。
芸術とは難解なものである。

梅谷正恵/「魂の旅程2016」。
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Rumen Dimitrov(ブルガリア)/「ハビット(住まい)プロジェクト」。
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「第19回 我孫子国際野外美術展」の作品は、鑑賞する人よりも創作している人の方が楽しんでいるような印象。
幾つか鑑賞した中で気に入った作品は、やはり、車窓から、そして、現場で見た、冒頭の、ブルーの奇妙な小屋、いや、”Unnatural mound”である。

利根川右岸に出る。
対岸の、利根町役場=古代の道、東海道駅家「於賦駅」比定地を眺める。
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木下良監修・武部健一著『完全踏査 古代の道 畿内・東海道・東山道・北陸道』(吉川弘文館)を読んでいたところ、下総国北部の東海道の項に、利根町役場が位置する場所がその地形からして、東海道の駅家、「於賦(おぶ)駅」比定地であると記されていた。
利根川左岸、利根町役場付近はマイ・ポタリング・コースのひとつであり、この辺りが「於賦(おぶ)駅」の比定地であることを知り、何だか嬉しくなった。
で、そうした目で今一度、利根町役場を眺めたいと思い、今回の「下総国史跡めぐり」のコースに加えてのであった。

こうして、「下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺」+アルファのポタリングを終え、布佐から手賀川CR、手賀沼CRを経由して、我孫子駅でフィニッシュしたのであった。

フォト:2016年11月3日
フォト#11:2012年10月24日、スロバキア/ブラチスラヴァ市内

(完)

by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:55 | 下総国史跡めぐり


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