2016年 07月 31日
7月2日(土曜)。 下総国史跡めぐり。 龍角寺、 房総風土記の丘資料館、龍角寺古墳群、「房総のむら」をめぐった後、龍角寺(印旛郡栄町)、龍尾寺(匝瑳市)と共に印旛沼の龍伝説を構成する龍腹寺(印西市)へと向かう。 龍腹寺を訪ねるのは、これで二度目となる。 前回は「印旛沼龍伝説ゆかりの地を訪ねて」と銘打ってのポタリングで、記録を辿ってみたところ、2011年6月4日のことであったので、今回の訪問は5年ぶりのこととなる。 龍腹寺。 千葉県印西市竜腹寺にある天台宗の寺院。 山号は玄林山。 本尊は薬師如来。 天和元年(1681年)の縁起によれば、延喜17年(917年)の創建とされるが、大同2年(807年)の創建とも、天平年間(729年 - 748年)、龍角寺を開いた釈命の創建ともされる。 当初、勝光院延命寺と称していたが、或る時、この地域が干ばつに襲われ、印旛沼の龍が天に昇って雨を降らせたが、その龍は頭・胴・尾の三つに分かれて地に落ちて死んでしまい、その胴の部分がこの地に落ち、それを祀り、「龍腹寺」と号したという。 嘗ての同寺の本堂は文久3年(1863年)に創建されたものだったが、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって焼失した成田山東京別院深川不動堂(深川不動尊)の本堂再建のために提供されることとなり、昭和25年(1950年)に移築された。 現在の本堂は、その後、建立されたものである。 また、仁王門と地蔵堂は本堂より約100mほど離れた場所に位置している。 梵鐘は県指定有形文化財である。 龍角寺台を西へ下り、西印旛沼と利根川を結ぶ長門川を渡り、水田地帯を通り抜け、印西市本埜支所(旧・本埜村役場)の角を曲がり、坂を上り切り、一般道を東へ走ると、左手に、仁王門と地蔵堂(延命地蔵尊)が現れる。 仁王門。 奉修補 仁王尊像二軀 当仁王尊は大同2年(約1200年前)当区の伝記によれば、左は慈覚大師、右は丹慶の作也と之有、一夜に建立せし故に無乳なりと。 無乳仁王尊としてその名高く乳に関する願いは速やかに成就すと謂う。 永正5年国司千葉北条両氏の戦に灰燼と帰し、後50有余年天文19年千葉氏により再興したるも、後政元年7月寺僧の不戒火に依り再焼せり。 領主稲葉公が再建せしも、又火災に逢い、諸堂と共に焼失せり。 後当村土井伊作発願主となり近郷より浄財をつのり、大佛師高野光慶、杉山宣慶兄弟により嘉永5年6月彫刻を始め、同6年5月完成せるもの也。 其後120有余年歳月の流れと共に損傷甚しく、昭和40年代に到りては破損見るに耐えず、部落民の総意によりこの郷土の誇りである仁王尊を修復し、祖先の偉業を讃え更に後世に乳無仁王尊の御尊像を末永く伝へ度、ここに茨城県江戸崎町佛師富岡清吾義範父子(屋号樽見屋)に依頼し、昭和49年12月14日より同52年3月20日に到る間、富岡父子の綿密なる解体、修理本堅地漆仕上の卓越せる技能の結果立派に修補奉る。 昭和52年3月27日 龍腹寺区 ------------------------ なかなか興味深い記述である。 だが、残念ながら、今は、乳無仁王尊を見ることは出来ない。 地蔵堂。 「延命地蔵尊」。 龍腹寺の本堂は成田山東京別院深川不動堂の再建に提供されたとの由にて、龍腹寺は成田山新勝寺と深い繋がりがあると思われるが、この扁額の揮毫者からもそのことが窺える。 梵鐘。 千葉県指定有形文化財 梵鐘一口 昭和47年1月28日指定 龍腹寺 総高106.3センチメートル、口径60.6センチメートル、池の間の上下に型継のあとがあり、三段組で鋳上げていることがわかります。 上帯下帯共に素紋(文様のないこと)で、鋳出しの浅い八葉の蓮弁の撞座が片方にだけついています。 この撞座が一個だけというのは非常に珍しいものです。 乳は四段四列で欠けている所はありません。 本鐘は、紀年がありませんが、その形態から南北朝時代頃の製作と推定されています。 池の間に次の銘文が陰刻されています。 南閻浮大日本国関東下総 印西荘龍原寺玄林山大鐘 書付之作者谷田部三郎兵衛 千葉住人 筆者當寺普門坊賢勝 昭和50年9月 千葉県教育委員会 印西市教育委員会 ------------------------- 龍腹寺の本堂は、仁王門、地蔵堂から少し離れたところにある。 一般道を約100mほど東へ進むと、左手に龍腹寺が現れる。 5年前と同様に、門扉は閉じられており、境内には入れない。 今回は境内に入れるものと期待していたのだが...。 上述の中で、幾度か、「5年前」とか「5年前と同様に」という言葉を使った。 5年前に龍腹寺を訪ねたときのことを、マイ・ブログ、初代『上総守が行く!』に「印旛沼龍伝説ゆかりの地を訪ねて」と題し、上巻/龍腹寺、下巻/龍角寺に分けて綴っており、それらをここに転載しておきたい。 ===2011年7月28日付け「印旛沼龍伝説ゆかりの地を訪ねて(上)」=== 6月4日(土)、晴れ。 印旛沼龍伝説に纏わる寺として、龍角寺、龍腹寺、龍尾寺がある。 龍角寺は何度か訪れたことがあるが、龍腹寺と龍尾寺はまだ訪れたことがない。 龍尾寺は匝瑳市にあり、これは相当に遠い。 龍腹寺を訪れてみることにした。 手賀沼CRから手賀川CR、布佐、木下を経て、JR成田線小林駅前を走り抜け、印西市本埜支所(旧・本埜村役場)に至る。 この辺りから左の田畑の中を走り抜けると"白鳥の郷"。 今回は本埜支所の角を右折し、県道65号線沿いの龍腹寺へ向う。 想像通り、上り坂だ。 県道65号線に至り、これを左折。 「延命地蔵尊」に立ち寄る。 龍腹寺は道路脇から坂道を上る高台にあった。 坂道の入り口に門扉がある。 門扉は閉ざされ、南京錠で施錠されている。 折角、来たのだから、門扉の脇の隙間から中へ入ろうかとも思った。 しかしながら、その隙間には、入っちゃだめですよと言うが如くに、二本のロープが張られていた。 門扉の彼方に見える「天台宗」と「龍腹寺」と刻まれた石柱をカメラに収めた。 印旛沼水産センターで昼餉を摂ろうと思い、本埜支所の角を右折する。 うな重(並)1800円也を食す。 周年うなぎを食するのはこれで何度目であろうか、幾度も食すと有り難味がなくなるような気がした。 折角、ここまで来たことでもあり、印旛沼水産センターから龍角寺に向うことにした。 フォト:2011年6月4日 (つづく) ===2011年7月28日付け「印旛沼龍伝説ゆかりの地を訪ねて(下)」=== 龍腹寺を巡り、折角、印旛沼水産センターまで来たことでもあり、龍角寺に向うことにした。 甚兵衛大橋の手前を右折する。 新ルートだ。 先ず、JR成田線下総松崎駅を目指す。 いつも思うことだが、「松崎」の読み方がなかなか興味深い。 「まつざき」ではなく、「まんざき」と読む。 「しもうさまんざき」、いい響きだ。 下総松崎駅近くの踏み切りを渡る。 成田安食バイパスは北総台地の高台を走っている。 想像通り、成田安食バイパスに至る道は上り坂である。 成田安食バイパスを走る。 龍角寺は北総台地の一画にある。 「千葉県立房総のむら」を過ぎ、右折し、龍角寺に至る。 龍角寺を訪れるのは2009年12月以来だ。 銅造薬師如来坐像は頭部のみが奈良時代の作で、体部は江戸時代の再鋳である。 関東の地に残る、奈良時代の仏像は稀有であるとのこと。 このフォトは実物ではなく、説明書きに添えられた写真を写したものである。 3x4の並びで、仁王門跡の礎石が整然と並んでいる。 塔址は真ん中に穴の開いた心柱の礎石のみである。 「史跡龍角寺境内ノ塔址」と「史跡龍角寺境内ノ塔址/史跡天然記念物保存法ニ拠リ 昭和八年四月文部大臣」と刻まれた石柱は健在なるも、「塔址」を囲む石柱は倒壊していた。 龍角寺も3月11日の巨大地震の被害を被ったようだ。 先に訪れた龍腹寺の門扉が閉ざされていた理由は不明ながら、この龍角寺の様子からして、龍腹寺も3月11日の巨大地震で何らかの損傷を被り、門扉を閉ざし、立入禁止にしていたのかもしれない。 サイクル・コンピュタの走行距離は52kmを示している。 さて、輪行で帰るか、自走で帰るかと思案しつつ、成田安食バイパスを走り、JR成田線安食駅へ向う。 自走で帰れば、本日の走行距離は80km超となる。 久方ぶりに80km超に挑戦してみようと自走に決める。 自宅到着。 よく日に焼けた。 走行距離81.28kmの「印旛沼龍伝説"取材"の旅」であった。 フォト:2011年6月4日 (完) =================== 5年前のブログを読み返して分かることは、震災で被害を被った龍角寺の復旧が未だ完全になされていないことである。 国や県は文化財の保護にもっと手を貸すべきではないかと思うのである。 東北地方の被災地に対しては言わずもがなである。 ドラポタ発祥の地を含め、武衛さんと共にめぐった今回の「下総国史跡めぐり」は、関東屈指の古代寺院、龍角寺がスタートだったこともあり、本ブログでは、龍角寺に始まり、最終回は5年前の龍角寺で締める構成と相成った。 JR小林駅前の中華屋で反省会。 店主殿に龍腹寺の門扉が5年前と同様に閉じられていたことを話したが、その理由は分からない、と。 機会あれば、龍腹寺に電話で尋ねてみようと思う。 5年前の走行距離は81.28km、今回は31.86km。 やっぱり、歳を取ったのかなあ、「房総のむら」もシニア無料で入園したしなあ...。 フォト# 1~#10:2016年7月2日 フォト#11~#24:2011年6月4日 (完)
by kazusanokami-2nd
| 2016-07-31 23:58
| 下総国史跡めぐり
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