2016年 03月 01日
越生ポタリング。 太田道灌ゆかりの地、龍穏寺。 第一の門(木製の門)と第二の門(「禁葷酒」の石碑が立つ赤い門)をくぐり、山門に至る。 事前に写真で見た通りの立派な山門である。 山門をくぐる。 太田道灌、登場! 「道灌さん、お久しぶりです。『太田道灌ゆかりの地を訪ねて』、2012年の江戸の巻、岩槻の巻、鎌倉の巻、2014年の江戸の巻、佐久の巻などで何度かお会いし、最後に佐久でお会いしてから1年半ぶりと相成ります」と一方的に語りながらシャッターを切る。 左手に弓を右手に鞭をもつた狩衣姿は、江戸と岩槻で出会った立ち姿と同じだ。 作者の橋本次郎(1919-97)は埼玉県川越市出身の彫刻家で、ほぼ、地元でもある。 帰館後、題字について、書を嗜む大給守さんから次のような電子飛脚便が到来した。 ----------------------- 龍隠寺の太田道灌像、山吹の里の、七重八重----の歌は、桑原翠邦の書によるものでした。 聞いたことのある書家だなと思い、帰館後、電脳検索。 やはり、郷土出身の書家、比田井天来の弟子でした。 スッキリしました。 大給 ------------------------ 以前、鎌倉・建長寺で石碑に刻まれた比田井天来の書を大給守さんに教えて貰ったことを思い出した。 「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」。 太田道灌と その父、道真の墓。 龍神伝説 その昔、龍穏寺のあたりは大きな沼でした。 秩父に向かう旅人は、どうしてもこの深い沼の側を通っていかなければならなかったのですが、そこには悪龍が住んでいました。 村人達はこの沼に住む悪龍の機嫌を損ねないようにお供えをして、あちこちに龍神を祭り、荒々しい心を鎮めるように祈りました。 その恐れおののく声は太田道灌さんまで伝わり、村人の切実な願いを聞いた道灌さんは、この悪龍を鎮めるために、日頃より師として尊敬している高僧の雲崗俊徳和尚(龍穏寺第五世住職)を遣わしました。 雲崗俊徳和尚は、沼を目前とする愛宕山に登って教典を読み上げ、幾日もの間、悪龍を押さえ込む闘いが続き、やがて雲崗和尚さんの霊験によって悪龍は過去の悪行を断ち切って、善龍となって奉仕することを誓いました。 そして、雲を呼び竜巻にのって天に昇っていってしまったということです。 その時、沼は竜巻が起きたため大嵐となり、水があふれ出て沼の底まで見え、数年経って平地となりました。 あふれ出た水は現在の越辺川になったといいます。 雲崗和尚さんは、龍の心が静かになり善龍になった事を記念し、道灌さんに援助をお願いして大きなお寺を建てました。 そのお寺の名前は、龍の心が穏やかになったという意味から、龍穏寺と名付けられたのです。 そして龍が住んでいたということから龍ヶ谷(たつがや)という地名が生まれたということです。 平成26年4月吉日 龍ヶ谷地域活性化推進の会 ---------------------------- 龍穏寺について。 龍穏寺 越生町龍ケ谷
長昌山龍穏寺は大同2年(807年)の草創で、永享2年(1430年)に室町幕府6代将軍足利義教が関東管領上杉持朝に命じて夢極慧徹を開山として復興させたと伝えられている。 文明4年(1472年)に太田道真道灌父子が泰叟妙康を請じて中興し、江戸時代には将軍家の庇護を受けて大寺院へと発展した。 慶長17年(1612年)には、下総総寧寺(市川市)、下野大中寺(栃木市)とともに幕府から全国の曹洞宗寺院を統括する僧録司に任じられ、「関三刹(関三箇寺)」と呼ばれていた。 龍穏寺は格式10万石で遇せられ、住職は麻布の江戸屋敷から登城していた。 幾多の名僧を輩出し、13人が当寺の住職を経て大本山永平寺の貫首に昇山している。 宝暦2年(1752年)に伽藍が灰燼に帰した後、天保12年から15年(1841~44年)に再建されたが、大正2年に再び本堂、庫裡などを焼失した。 罹災を免れた経蔵、山門、寺鎮守熊野神社は上野山之神村(現太田市)の岸亦八の彫刻で飾られ、内部には「酒井抱一」一門による壁画、天井画が描かれるなど、贅を凝らした建造物である。 また、境内には、幕末期に江戸の台場築造工事にも出仕した長沢村(現飯能市長沢)の石工「八徳の三吉」による石積みがのこる。 平成25年3月 越生町教育委員会 ---------------------------- 縁側でくつろぐ、”枝かぶり”の大給守さんと南国守さん。 「自然休養村のひも川うどんにしませう」。 坂を下り、うめ街道(県道61号線)に出て、来た道と同じコースを辿り、自然休暇村へと向かう。 下り基調のうめ街道なので、龍穏寺から自然休暇村まで<下りま専科>を楽しむ。 フォト:2016年2月27日 (つづく)
by kazusanokami-2nd
| 2016-03-01 23:58
| 越生ポタリング
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