上総守が行く!(二代目)

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2017年 02月 20日

『下総国史跡めぐり/"尾垂"の地(下)』 rb-7

2月19日(日曜)、晴れ。
印旛沼の龍伝説ゆかりの、龍尾寺と尾垂ヶ浜をメインとした今回のポタリング。

「尾垂(おだれ)」の地名標識をこの目で確認し、龍伝説の尾垂ヶ浜では、もう一つの名所旧跡である「成田山御本尊上陸地」も訪ね終えた。

海を眺めるべく、浜へと進んだ。

浜への入り口付近は、防災林造成工事中。
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位置図。
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この位置図をカメラに収めたのは、第6話で田園地帯の道は<あみだくじ>の如しと記したことを図で示したかったからである。
図の右端(東端)は横芝光町と匝瑳市の境界線で、東側の匝瑳市は白くなっているが、こちらも田園地帯はつづき、<あみだくじ>状態である。

アップで。
地図上に「尾垂」の地名あり。
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「車両等の乗入れ規制」。
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車両等の乗入れ規制
ここは、県立九十九里自然公園の特別地域です。
駐車場以外の地域は、アカウミガメの産卵地、コアジサシの営巣地や海浜植物の保護のため、県立自然公園条例で自動車・バイク等の乗入れが規制されています。
自然を大切にしましょう。
ゴミは必ず持ち帰りましょう。
(罰則)
違反した者は、県立自然公園条例により、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金に処されます。
千葉県 山武警察署・横芝光町
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「アカウミガメの産卵地、コアジサシの営巣地」という点で、この掲示板は興味深い。

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掲示板にある図を眺めながら、御宿から勝浦、野島崎経由館山まで走ったことはあるが、いずれ、犬吠埼から御宿まで走り、房総半島の外海沿岸を極めたいと改めて思った。

工事現場の脇を通り抜け、浜へ。

防災林の苗が植えられている。
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囲いに鳥がとまった。
しばし、鳥見。
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鳥の名は?
<鳥見ング>拡大版で確認してみる。
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ホオジロ、冬羽のメスと思われる。

砂山を上り、浜に出る。

風紋。
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波。
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水遊び(?)の大人、二人。
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水遊びをしているコサギ、一羽。
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釣り人、一人。
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浜辺は、これら3人+1羽+我ら2人の都合5人+1羽の、貸し切り状態。

屏風ヶ浦、遠望。
更にはその先に、犬吠埼灯台も。
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今朝方は、時間的余裕があれば、屏風ヶ浦、更には、昨年5月以来の犬吠埼まで行ってみよう思っていたが、既に夕方3時半、ちょっとそこまで行くには時間的にきついので、次回の楽しみに残し、八日市場駅へ戻ることにした。

帰路は、<あみだくじ>の道を辿らず、幹線道路の県道30号線(九十九里ビーチライン)を東進、県道48号線を北上。

冬の田園地帯。
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西に傾く太陽が描く影。
央/ペットボトルの水を飲む武衛さん、右・左/カメラを構える上総と上総の愛馬。
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八日市場駅に到着。
時刻表を見る。
上り電車の到着までには少し時間がある。
駅前の喫茶店風食堂に入り、休憩。
昔は電車待ちの高校生が大勢、店に来たが、今の高校生はマクドナルドとかで過ごすので、客筋はおっちゃん系というのが店のおばちゃんの話であった。

この日のポタリングで、念願の、龍角寺、龍腹寺+龍尾寺の印旛沼龍伝説ゆかりの三寺訪問を達成!
大満足のポタリングであった。
走行距離43キロミーターズ。

フォト:2017年2月19日

(完)
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# by kazusanokami-2nd | 2017-02-20 23:37 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2017年 02月 20日

『下総国史跡めぐり/"尾垂"の地(上)』 rb-6

2月19日(日曜)、晴れ。
印旛沼の龍伝説ゆかりの寺、龍尾寺をメインとした今回のポタリング。

龍尾寺、そして、龍伝説とは何ら関係ないのだが、尾っぽ繋がりの老尾神社を訪ね、昼餉を摂り終えた後、次の訪問地、「横芝光町尾垂(おだれ)」の地名標識の確認と成田山御本尊上陸地を目指し、九十九里浜方面へ向かう。

昨年5月、自転車倶楽部ドラポタの面々と房総半島を旅した。
コースは、銚子~犬吠埼~勝浦(泊)~大多喜~五井。
足は、自走と鉄路のミックス。
犬吠埼から勝浦まで、武衛さん、南国守さんと小生は鉄路で、大給守さんは自走。
その途中、大給守さんから「成田山本尊上陸地」に立ち寄ったとして、その写真が送られて来た。
この写真を見て、毎年、初詣で成田山新勝寺に参っていることもあり、機会あれば、この「成田山本尊上陸地」を訪ねてみたいと思った。

一方、今回のポタリングを企画している際、印旛沼の龍伝説に関わる「尾垂」、「尾垂ヶ浜」という地名を知った。
「印旛沼の龍伝説」については、本ブログの第1話で縷々綴ったので、ここでは詳細は省略するが、釈命上人が雨乞いの儀式を行った際、惣領村の浜から龍が空に向かって舞い昇るときに龍の尾が浜に垂れ下がったことから、この地を「尾垂」、「尾垂ヶ浜」と呼ぶようになったとのことである。
そして、この「尾垂ヶ浜」に「成田山本尊上陸地」があるということも知った。
ということで、今回の<龍尾寺を訪ねて>ポタリングに「尾垂」、「尾垂ヶ浜」も加え、且つ、尾垂ヶ浜の「成田山本尊上陸地」を訪ねるという一石二鳥の機会を得たのであった。

八日市場駅の北側の市街地で昼餉を摂った後、総武本線の線路を越え、南へ走る。
総武本線と海岸線の間の地域は田園地帯である。
地図を見ると、その田園地帯には<あみだくじ>のように道が走っている。

「尾垂」は、匝瑳市の西隣りの、山武郡横芝光町(2006年、山武郡横芝町と匝瑳郡光町が合併し、新たに発足した町)にある。

幹線道路を南へ走り、九十九里浜沿いの道を西へ走ればよいのだが、それは止め、<あみだくじ>のように張り巡らされた道を走ることにした。
<あみだくじ>の道を、南へ、西へ、南へ、、西へと繰り返し走っていると、いずれ、「尾垂」に到着するとの目論見である。

<あみだくじ>の道を走っている途中、その中ほどあたりで、道路標識が現れた。
頭の中で描いている方向と標識の方向が異なっていた。
「上総さん、我々は西へ向かっているようです。この辺りで、南へ行かなければ」。
「太陽は南と思って、それに向かって南へ走っていたつもりでしたが、今は冬、そして、時刻は2時。太陽は西やったんですね」。

左折して、南へ転進。
手持ちの地図に照らしても、何処を走っているかよく分からず、スマホ検索と併用しながら、走る。
細い農道をしばらく走ると、向こうから車が来た。
ドライバーさんに「尾垂」への道を確認する。
西へ走り、次の角を左折し、真っ直ぐ南へ走ると、一般道の「尾垂」に出るという。
ありがたや。

九十九里浜沿いの県道30号線、九十九里ビーチラインに出た。
早速、電柱の管理標識に記された「尾垂」の地名を発見!
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道路標識の「県道30号線 横芝光町 尾垂」も発見!
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「成田山本尊上陸地」の尾垂ヶ浜を目指し、県道30号線を西へ走る。

「元禄地震の再来想定津波高」。
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房総半島を旅していると、元禄地震の標識をしばしば目にする。
近年、地震の歴史を参考に地震予知や対策をするという方法も採られており、元禄地震もそうしたことに大いに参考になるのであろう。

標柱/「成田山御本尊上陸之地入口」。
標柱の角を左折し、海岸の方へ向かう。
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立て看板/「大本山成田山御本尊御上陸之地」。
奥に鳥居が見える。
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成田山御本尊上陸之地。
説明板に目を通す。
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成田山上陸地
平安時代の中頃に桓武天皇の子孫の平氏が東国へ来て勢力を張り、その一族の平将門が反乱を起こしたとき、それを鎮めるために寛朝僧正によって不動明王像が都から大阪を経て船で運ばれ、尾垂の浜に上陸、調伏祈願をしたところ、天慶3年(940年)、乱は鎮まりました。
この時の不動明王が成田山新勝寺の本尊です。
平成3年3月
光町教育委員会
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光町指定史跡
成田山御本尊不動明王御上陸地
平成10年4月23日指定

天慶の乱(平将門の乱)の時、将門調伏の祈祷のため、寛朝大僧正が京都から海路、不動明王尊像を奉持して、ここ尾垂ヶ浜に上陸しました。
その不動明王尊像は、現在の成田山新勝寺のご本尊です。

平成10年12月1日
光町教育委員会
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平将門の終焉の地は、茨城県坂東市(旧・岩井市)の辺りといわれている。
終焉の地、坂東市に平将門を祀る國王神社がある。
関東各地の将門ゆかりの地には将門神社がある。
江戸時代、江戸総鎮守とされた神田明神も将門神社の流れを汲むものである。
関東地方の将門ゆかりの地に住まいする人々の中には、成田山新勝寺には参らないという人もいると聞く。

数年前、初詣で成田山新勝寺へ参ったあと、自転車倶楽部ドラポタの走り初めで江戸府内神社仏閣初詣ポタリングを挙行、そのとき、神田明神にも参った。
成田山新勝寺と神田明神の両方を参ると罰が当たるとも聞いていたので、神田明神の随身門を「私はええ加減な人間ですので、ご勘弁を」と念じながらくぐったことがある。
随身門の先に、神馬の<明かりちゃん>が居て、「大丈夫ですよ」と言ってくれた(ような気がした)ことを思い出す。

「成田山本尊不動明王 御上陸之地」碑と不動明王像。
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「御上陸之地」の脇には「大本山成田山貫主大僧正照定謹書」と刻まれている。
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大僧正照定とは、中興第18世貫主 荒木照定大僧正のことである。
この人物の略暦を調べてみたところ、次の通りであった。
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荒木照定(1892年-1965年)
明治-昭和時代の僧。
1892年(明治25年)4月28日生まれ。
成田山新勝寺に入り、石川照勤より灌頂(かんじょう)をうけ、1924年(大正13年)、同寺貫主となる。
1928年(昭和3年)、地方青年指導機関の新更会を設立。
1948年(昭和23年)、成田山文化事業財団を設置、その総裁をつとめた。
1965年(昭和40年)9月20日死去。73歳。
千葉県出身。
東洋大卒。
(デジタル版 日本人名大辞典)
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石碑に比べ、不動明王像は真新しいので、その建立時期を調べてみた。
横芝光町商工会のホームページに、上陸記念碑は「昭和の初め、聖地を顕彰するため巨石が運ばれ、昭和35年(1960年)に記念碑が建立されました」、不動明王像は「(平成10年(1998年)の)成田山開基1060年記念事業として、海上安全と万物共生を願い浪切り不動尊像が成田山新勝寺によって建立されました」とあった。

不動明王が毎日、眺めている海を像の脇に立って眺める。
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釈命上人が雨乞いの儀式を行った際、龍が舞い上がり、尾が垂れた地と、後年、寛朝大僧正が京都から海路、不動明王尊像を奉持して上陸した地が同じというのは奇しき縁といえよう。

フォト:2017年2月19日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2017-02-20 23:36 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2017年 02月 20日

『下総国史跡めぐり/八日市場』 rb-5

2月19日(日曜)、晴れ。
印旛沼の龍伝説ゆかりの寺、龍尾寺、そして、龍伝説とは何ら関係ないのだが、尾っぽ繋がりの老尾神社を訪ね終えたら、丁度、正午。
昼餉を摂るべく、八日市場駅の北側の市街地へと向かう。

市街地を走る。

看板建築風建物/灰吹屋薬局。
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灰吹屋薬局、不思議な店名。
ネット検索してみると、その由来が分かった。
①屋号「灰吹屋」は、鉛から金や銀を取り出すための灰吹法に由来する。
②川崎市に株式会社灰吹屋薬局が経営するドラッグストア・チェーンが存在する。
 この灰吹屋薬局は、江戸の四谷にある総本家灰吹屋からの暖簾分けで、1765年(明和2年)、
 大山街道沿いの溝口に開業した。
③四谷・溝口以外にも同名の薬局が存在する。
八日市場の灰吹屋薬局は③に該当するのであろう。

土蔵造り/坂本総本店。
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坂本総本店とは。
ホームページを参照してみた。
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『坂本総本店』は、創業、文化2年(1805年)。
千葉県北東部にある『八日市場』という土地に、店をかまえています。
『八日市場』は、昔、江戸と銚子を結ぶ浜街道の宿場町でした。
地名の由来は、元亀・天正(1570~1592)年頃、毎月八日、十二日に住民のために、市場が定期的に開いていたとされています。
現在の店舗は、黒漆喰塗の土蔵造りで明治三十八年に創建されました。
平成九年に国の『有形文化財』に指定されました。

創業当時の八日市場には、茄子畑があり、「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』を創りあげました。
そして、明治四十四年に大正天皇が皇太子のとき八日市場を行啓された際に献上した銘菓『落花煎餅』がございます。(以下、略)
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仕舞屋風建物/鶴泉堂。
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「創業 天明元年霜月」とある。
天明元年は西暦1781年。
先ほどの、文化2年(1805年)創業の坂本総本店よりも古い。
どんな店なのか?とネット検索してみた。
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創業天明元年(1781年)。
初代保五郎が生み出し、現在の九代目まで続く秋茄子を使った銘菓「初夢漬」。
伝統を受け継ぐ匠が生み出す妥協なき逸品です。

縁起物の「なすび」を丁寧に仕込んだ「初夢漬」
地元名産の落花生をたっぷり練りこんだ「落花煎餅」
どちらも職人が精魂込めて作り上げました
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茄子の砂糖漬けに落花生の煎餅、鶴泉堂も坂本総本家も地元産産の素材を使った菓子を製造販売しているようだ。

坂本総本家や鶴泉堂などの家並みを眺めながら、その昔、江戸と銚子を結ぶ浜街道の宿場町にいろんな店が創業されていく様子が目に浮かぶ。

三叉路に立つ薬師如来像。
何故、こんなところに薬師如来像が?
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案内板によれば、「...老朽化した薬師堂に代わり、八日市場発祥のシンボルとして新たに薬師如来石像二十尺を建立安置し...」とある。
右手は施無畏印、左の与願印を示す手の平の上には薬坪がしっかりと見て取れる。

八重垣神社。
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八重垣神社といえば、素盞嗚尊と櫛稲田姫の故事を由来とする松江市の神社が頭に浮かぶ。

八日市場の八重垣神社の由緒が書かれた案内板は見当たらず、ネット検索で調べてみた。
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平安時代初期、弘仁2年(812年)、物部朝臣匝瑳連足継が鎮守府将軍としてこの地を廻り、祖神たる物部小事の直筆の八雲の神詠を奉祀するため、出雲の神を奉載し、牛頭天王社として祀ったことに始まる。
祭神は、素戔嗚尊・事代主命・倉稲魂。
戦国時代、享禄3年(1530年)、社名を福岡明神に改め、神輿を新造して祇園祭を執行したのが、今日の「八日市場の祇園祭」の起源だという。
明治6年(1873年)、村社に列格し、「八重垣神社」と改称し、今日に至っている。

「八日市場の祇園祭」は、八重垣神社祇園祭とも呼ばれ、毎年8月4日・5日に行われる。
当社を中心に10町内から合わせて20数基の神輿が繰り出される。
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松江の八重垣神社の由緒を紐解くと、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀の地に須我神社が創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座、明治5年(1872年)、佐久佐神社は八重垣神社を合祀、明治11年(1878年)に八重垣神社に改称した。

一方、祇園祭といえば、京都・八坂神社の祭礼。
八坂神社の祭神は、素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神。
八坂神社は、明治元年の神仏分離令により「八坂神社」と改められたが、元々は「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれており、元の祭神は祇園精舎の守護神である牛頭大王であった。

「祖神たる物部小事の直筆の八雲の神詠を奉祀するため、出雲の神を奉載し」からすると、八日市場の八重垣神社は松江の八重垣神社の系統とも思えるし、「牛頭天王社として祀った」ということや祇園祭からすると、京都の八坂神社の系統とも思える。
神社の由緒はなかなか難しい。

「匝瑳」姓。
八重垣神社の脇の御宅の表札「匝瑳」に目を惹かれる。
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老尾神社からここまで走っている途中でも、数軒、「匝瑳」姓の表札を見た。

「匝瑳」姓は、この辺りで由緒ある名字であると思われる。
で、「名字由来net」で調べてみた。
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[名字] 匝瑳
[読み] そうさ
[全国順位] 22,096位
[全国人数] およそ190人
[都道府県別ランキング] 
千葉県   3,556位 およそ140人
東京都  18,229位 およそ30人
神奈川県 21,200位 およそ10人
埼玉県  26,722位 およそ10人
埼玉県 26,722位 およそ10人
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本ブログの第1話で、匝瑳市と宍粟市(兵庫県)は難読地名の代表格と書いたが、「匝瑳」姓は難読名字のひとつと言えるだろう。
「匝瑳」さんは電話などで名前を伝えるとき、どのように伝えるのであろうか。
例えば、山田さんなら、山谷の山に田んぼの田、と簡単に伝えられるのだが...。
他人事ながら心配になって来る。

時計は12時半を指している。
八重垣神社近くの蕎麦屋に入り、腹ごしらえ。

腹ごしらえを終えて、次の訪問地、「横芝光町尾垂(おだれ)」の地名標識の確認と成田山御本尊上陸地を目指し、九十九里浜方面へ向かう。

フォト:2017年2月19日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2017-02-20 23:35 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2017年 02月 20日

『下総国史跡めぐり/老尾神社』 rb-4

2月19日(日曜)、晴れ。
印旛沼の龍伝説ゆかりの寺、龍尾寺から、次の訪問地、老尾神社へと向かう。

老尾神社は、印旛沼の龍伝説と何ら関わりはないが、「龍尾」、「老尾」の「尾っぽ」つながりで、今回のポタリングの訪問地に加えてみたのであった。

龍尾寺から、県道114号線を南下、八日市場駅の北側の市街地を西へ進み、右折し、県道16号線を北上。

老尾神社は、千葉県立匝瑳高校の近くてあることは分かっているのだが、具体的に何処にあるかまでは分かっていない。
千葉県立匝瑳高校前に至る。
老尾神社の標識はない。
匝瑳高校を通り過ぎ、暫く走ると、JR関東バス「生尾」バス停が見えて来た。
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「生尾」の読みは、「なまお」でもなく、「いくお」、「いきお」でもなく、「老尾」=「生尾」で、その読みは「おいお」であろう。

老尾神社は通り過ぎてしまっているようなので、匝瑳高校前まで引き返す。
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校門の前にいた女子高生に老尾神社の場所を尋ねてみた。
「私たち、他校から弓道の試合でここに来ていますので、この辺りのことは...」と言いながら、ポケットからスマホを取り出して検索してくれた。
スマホなら、おっちゃんたちも持っているのだが、スマホで検索するところまでは気づかなかった(遅れてるぅー!)。

スマホ検索によれば、正門の向かいの細道を入っていったところにあるようだ。
礼を伝え、細道に入る。
上り坂だ。

老尾神社に到着!
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匝瑳市指定史跡
式内社老尾神社
平成25年2月21日指定

平安時代の「延喜式」に、香取神宮などに次いで小社[老尾神社]と記載されている。
現在の境内地については、江戸時代の「下総名勝図絵」に絵図として見られ、「延喜式」から続く神社であると由来に書かれている。
匝瑳郡としては式内社は一社であり、後には匝瑳郡のそう鎮守となった記録もあり、歴史的に重要なものである。

平成26年3月
匝瑳市教育委員会
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「下総名勝図絵」。
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更に進む。
先ほどの標柱「式内社 老尾神社」に続き、今度は「老尾神社」と刻まれた石柱。
こうした<お金の無駄遣い>は各地で見られる。
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鳥居、そして、参道。
江戸時代の「下総名勝図絵」と同様に、杉木立。
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拝殿。
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扁額コレクション。
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扁額には「延喜式内匝瑳一座 老尾神社」と刻まれている。

香取神宮に次ぐ神社とのことだが、地味な神社。
しかし、拝殿の裏には本殿もしっかりと。
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本殿の屋根。
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拝殿だけを見て地味だと思ったが、拝殿は仮設のようで、本殿は昔のままの歴史的な建物と見た。

木立の中から拝殿と本殿を遠望。
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こうして遠望すると、木立と相まって、いい雰囲気を醸し出している神社だ。

入り口にあった説明板は随分と簡単に書かれたものであった。
時折、香取神宮を参拝することもあり、香取神宮と老尾神社のより詳しい関係を知りたく、ウィキペディアを参照してみた。
説明板プラス・アルファの詳しいことが分かった。
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老尾神社は、千葉県匝瑳市生尾(下総国匝瑳郡)にある神社である。
式内社(小社)で、旧社格は郷社。

祭神は、香取神宮の祭神・経津主命の御子神、阿佐比古命を主祭神とし、磐筒男命・磐筒女命・国常立命を配祀する。
その他、物部小事を祭神とする説もある。

社伝によれば崇神天皇7年の創建である。
延喜式神名帳に「下総国匝瑳郡 老尾神社」と記載され、小社に列している。
下総国のうち下海上国造の領域の式内社は当社の他は香取神宮のみであり、下総国匝瑳郡惣社とされた。

当社の鎮座する匝瑳郡は、物部小事の坂東を征した功勳により建郡されたとされ、小事の子孫を称する物部匝瑳氏が足継・熊猪・末守の3代に亘って鎮守将軍に任ぜられるなど、常陸国信太郡とともに物部氏との深い関係が伝えられる。
また、香取神宮の摂社に匝瑳神社があり、この摂社の造り替えは、古くは匝瑳郡の役であったともされる。
さらに当社の祀官は香取氏であり、私穀を陸奥国鎮所に献じた功績により外従五位下を授けられた香取連五百嶋は匝瑳郡に居住したとも、あるいは年老いて大禰宜を辞した後、匝瑳郡に引退したともされ、香取神宮との関係が伝えられ、香取神宮と物部氏との関係も説かれる。

正平24年(1369年)に社殿を焼失し、千葉氏によって再建された。
以降、千葉氏の保護を受けたが、千葉氏の衰えとともに当社も衰退した。

明治6年(1873年)10月、郷社に列格した。
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細い坂道を下り、再び、県道16号線沿いの匝瑳高校前に出た。
匝瑳高校の天文台が冬の陽光を受け、銀色に光っている。
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丁度、昼餉時の12時である。
県道16号線を南下し、八日市場駅近くの市街地へと向かう。

フォト:2017年2月19日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2017-02-20 23:34 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2017年 02月 20日

『下総国史跡めぐり/龍尾寺(下)』 rb-3

2月19日(日曜)、晴れ。
JR総武本線/八日市場駅を出発し、龍尾寺に到着。

龍尾寺の様子を綴った前編に続き、この後編では、龍尾寺での<龍コレクション>を。

「関東三龍之寺」。
印旛沼の龍伝説にまつわる寺であることを思わせる。
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本堂の前に建つ円柱。
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手水舎。
手水鉢に龍の姿がちらっと見える。
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正面から見る「龍の口」はちょっと不気味。
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角度を変えて見てみると、カワユイ感じ。
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横顔もカワユイ。
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後ろ姿はもっとカワユイ。
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もう一度、正面顔を。
手水鉢の底にいるのは亀。
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手水鉢にぶら下がり、尻尾をぐるっと巻きつけ、ちょこっと顔を出している姿、これはなかなか微笑ましく、ひょうきんな龍である。

帰り際、山門の近くで子供連れの婦人と暫し歓談。
「この辺りは、その昔、古代寺院があったといわれています。ということで、『大寺』という地名になっているのだと思います」。
「古代寺院があったというのは初耳です」。
「この辺りに『大寺』と書かれた標識はないでしょうか」。
「山門から入り口に行く途中に右へ行く道があります。小学校の前を通り過ぎ、真っ直ぐに行くと農免道路に出ます。その道に『大寺』と書かれた標識があったと思います」。
「有難うございます。そちらの道へ行ってみます」。

農免道路へ向かいながら、子供連れの婦人に、龍尾寺と印旛沼の龍伝説の関わりについて話題にするのを忘れたことに気づいたが、”遅かりし由良之助”であった。

農免道路に出た。
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道路標識や電柱に貼られた住居表示の『大寺』は見当たらない。
農免道路を走りながら、「上総さん、あちらの電柱に『大寺』の標識が!」との武衛さんの声あり。
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武衛さんは、道路標識や電柱に貼られた住居表示以外に、電力会社や電話会社が電柱の管理のために電柱に地名が付けられていることを知っていたのであった。
流石、電機メーカーに勤めていた武衛さんである。

龍尾寺を訪ね、これにて、印旛沼の龍伝説ゆかりの龍角寺、龍腹寺、龍尾寺の三寺訪問が叶った。
そして、古代寺院の八日市場大寺廃寺があったことを示す、地名の「大寺」の標識もこの目で確認した。
これにて、この日のポタリングの所期の目的を達成した。

次の訪問地、老尾神社へと向かう。

フォト:2017年2月19日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2017-02-20 23:33 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)