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2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺から寄り道/布佐』 rk-5 

11月3日。
この日のポタリングのメインである「下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺」を終え、旧・本埜村(現・印西市)の「白鳥の郷」に立ち寄り、布佐方面へ。

布佐。
「岡田武松邸跡」へ武衛さんを案内。
岡田武松(1874-1956)。
千葉県東葛飾郡布佐町(現・我孫子市布佐)生まれの気象学者。
1899年、東京帝国大学物理学科卒業。
直ちに、中央気象台(現・気象庁)に勤務。
1905年、予報課長として日本海海戦当時の天気予報を出す。
この予報「天気晴朗ナルモ浪高カルベシ」は、連合艦隊から大本営宛に打電された有名な電報「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃沈滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の原典といわれる。
1919年、東北帝国大学教授兼任。
1920年、神戸海洋気象台初代台長に就任。
1923年、第4代中央気象台長(現・気象庁長官)に就任。
1956年、83歳で没す。

柳田國男ゆかりの地/布佐の巻。
茨城県北相馬郡利根町の柳田國男ゆかりの地は、以前、武衛さんほかドラポタのメンバーを案内したので、今回は布佐の柳田國男ゆかりの地めぐりを。

「凌雲堂医院」跡。
柳田國男の長兄、鼎は、1887年、茨城県北相馬郡布川町(現・利根町布川)で済衆医院を開業(現在、同院は「柳田國男記念公苑資料館」)。
その後、両親、國男、静雄が兵庫県神崎郡福崎町辻川から布川に転居、鼎と共に住む。
1893年、一家は千葉県南相馬郡布佐町(現・我孫子市布佐)に転居、鼎は凌雲堂医院を開業。
鼎は、のちに千葉県会議員、布佐町長、千葉県医師会長などを歴任。
國男(後に柳田家に入籍)は後に民俗学を起こすこととなるが、少年期に利根川を挟んで布川と布佐で過ごしたことがその遠因となっている。

詳しくは、2012年8月15日付けマイ・ブログにて。
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編&我孫子市編」第10話
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編&我孫子市編」第11話

竹内神社/石碑"IN MEMORY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS"。
松岡五兄弟(松岡鼎、柳田國男、井上通泰、松岡静雄、松岡映丘)のうち、布佐に住まいした松岡鼎、柳田國男、松岡静雄の名が刻まれている。

詳しくは、2015年6月25日付けマイ・ブログにて。
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて/竹内神社の石碑」

この日の朝、往路、JR成田線布佐駅手前の宮ノ森公園にブルーの奇妙な小屋と思しきものがあるのを車窓から<発見>した。
宮ノ森公園は竹内神社下の線路沿いにある公園。
そこまで足を運んでみた。

あった、ブルーの奇妙な小屋らしきものが。
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標題と作者。
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千葉工業大学遠藤研究室(日本)
タイトル Unnatural mound
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宮ノ森公園ほか布佐周辺で「第19回 我孫子国際野外美術展」が開催されていたのであった。

公園内で、"Unnatural mound"以外の作品も鑑賞。
Adam Ulen(オーストラリア)/「失われた楽園よりさらに遠くへ-お茶をどうぞ」。
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埋もれた人が気になる。
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この作品を見て、数年前、中欧を旅したとき、スロバキアの首都ブラチスラヴァで見た、風変わりな像を思い出した。
アーカイブから引っ張り出してみた。
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「マンホールから出てくる男」、標題は確か”Man at Work”であったと記憶。
こうして二つの作品を見比べてみると、地面に埋もれている、地面から這い出ていると、地面が絡んだ作品ながら、そこから得る印象は全く異なるものであった。
芸術とは難解なものである。

梅谷正恵/「魂の旅程2016」。
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Rumen Dimitrov(ブルガリア)/「ハビット(住まい)プロジェクト」。
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「第19回 我孫子国際野外美術展」の作品は、鑑賞する人よりも創作している人の方が楽しんでいるような印象。
幾つか鑑賞した中で気に入った作品は、やはり、車窓から、そして、現場で見た、冒頭の、ブルーの奇妙な小屋、いや、”Unnatural mound”である。

利根川右岸に出る。
対岸の、利根町役場=古代の道、東海道駅家「於賦駅」比定地を眺める。
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木下良監修・武部健一著『完全踏査 古代の道 畿内・東海道・東山道・北陸道』(吉川弘文館)を読んでいたところ、下総国北部の東海道の項に、利根町役場が位置する場所がその地形からして、東海道の駅家、「於賦(おぶ)駅」比定地であると記されていた。
利根川左岸、利根町役場付近はマイ・ポタリング・コースのひとつであり、この辺りが「於賦(おぶ)駅」の比定地であることを知り、何だか嬉しくなった。
で、そうした目で今一度、利根町役場を眺めたいと思い、今回の「下総国史跡めぐり」のコースに加えてのであった。

こうして、「下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺」+アルファのポタリングを終え、布佐から手賀川CR、手賀沼CRを経由して、我孫子駅でフィニッシュしたのであった。

フォト:2016年11月3日
フォト#11:2012年10月24日、スロバキア/ブラチスラヴァ市内

(完)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:55 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺から寄り道/白鳥の郷』 rk-4 

11月3日。
この日のポタリングのメイン、「下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺」を終え、旧・本埜村(現・印西市)の「白鳥の郷」へ向かう。

龍角寺台地を安食方面に下る。
利根川と北印旛沼の間を流れる長門川に至る。
長門川に流れ込む小さな川の河口で、何の工事かは分からないが、大工事が行われていた。
そういえば、この工事は随分と以前からされており、印旛沼ポタリングの際、迂回していた記憶がある。
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工事現場向かいの鉄工所。
鉄丸棒で作った自転車の飾りを見るのがいつも楽しみ。
そして、この鉄丸棒の自転車が立て掛けてあるところに見えるブルーの鉄柵の中にいるウサギを見るのもいつもの楽しみ。
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豊年橋から工事現場を眺める。
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田んぼ道を走り、白鳥の郷に至る。
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「白鳥の郷」の記された看板の隙間からハクチョウたちを眺めるのも楽しみのひとつだ。
手前ピントで、ハクチョウたちはピンボケだが...。
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飛来数、57羽。
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これから季節が進むにつれて、どんどん飛来し、飛来数は千数百羽となろう。

遠路、シベリアから飛来したハクチョウたちを代表して、一羽をアップで。
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くちばしの黒と黄色の分布状態からして、コハクチョウである。

オオハクチョウとコハクチョウの見分け方は覚えているようで、覚えておらず、毎シーズン、資料を見ることとなる。
ここで、見分け方を記しておこう。
先ず、大きさが違う。
その名の通り、オオハクチョウはコハクチョウより大きい。
但し、これら2種が並んでおれば比較が出来るが、1種のみの場合は大きさでの見分けは難しい。
次に、くちばしの黒と黄色の分布状態が違う。
オオハクチョウは黄色の面積が大きく、黄色の部分がくちばしの先の黒い所の境目の下の方へ少し尖って入り込んでいる。
一方、コハクチョウはオオハクチョウに比べて黄色の面積が小さく、黒い部分との境目の下の方が尖っていない。

こうした、くちばしの黄色と黒の分布状態の特徴から、コハクチョウと判定したのである。

二番穂をついばんでいるコハクチョウたち。
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真ん中あたりにいる、灰色の一羽は幼鳥である。
成鳥らと一緒にシベリア方面から懸命に飛んで来たのである。
健気である。
二番穂を食べながら、この地で冬を越し、大きく成長して2月には北へ帰るのである。

水面のコハクチョウたち。
遊び?喧嘩?
賑やかに、翼をばたつかせている。
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水面に群れていたオナガたちが一斉に飛び上がり、再び、水面に降りた。
水面の上空に、猛禽類と思しき3羽が飛んでいた(写真中央、微かに見える黒い点)。
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アップで。
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急降下して、オナガを捕まえることもなく、彼方へ飛んで行った。

布佐方面へ向け、走る。

フォト:2016年11月3日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:54 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺(3)』 rk-3 

11月3日。
下総国史跡めぐり。
再びの、龍角寺。
いつもは堂内には入れず、この日は特別公開。
幾度も龍角寺を訪ねているが、本堂内に入ったのは今回が初めて。
奉安殿の扉が開かれ、内部を見たのは初めて。
奉安殿に安置された本尊の銅造薬師如来坐像と十二神将を拝するのは、勿論、初めて。
奉安殿の天井絵の龍の図を拝するのも、勿論、初めて。

本堂内での参拝、見学を終え、本堂と奉安殿を時計回りでぐるっと、ひと回り。
本堂、西側の入り口。
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奉安殿を北東側から眺める。
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開け放たれた本堂、東側の窓。
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本ブログ、第2話で、「本堂とは名ばかりの質素な建屋、そして、その奥に奉安殿と称される収蔵庫はいつも外から見慣れている風景であるが、本堂の中へ入るのは今回が初めて...」と記した。
今回、本堂内と奉安殿の内部を見たことにより、これまで幾度となく見て来た本堂と奉安殿のイメージが一変、「本堂とは名ばかりの」というような言葉を使ったことは不適切であったと恥じ入るのであった。

境内に「お接待」の場が設けられている。
普段は斯様なことはなく、「房総のむら ふるさと祭り」の設えのひとつなのであろう。
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コーヒーと茹で落花生を頂戴する。今年は茹で落花生に縁がある。
ヨメが近くの八百屋に茹で落花生用の落花生を売っていたとのことで、家で湯で落花生を作ってくれた。
そのあと、直ぐに、安房国史跡めぐりで安房国分寺を訪ねた際、「安房國四十八ヶ所 薬師霊場申歳中開帳」が行われているとのことで、境内でお茶と茹で落花生の「お接待」を受けた。
そして、次は、龍角寺の境内で、三度目の茹で落花生を頂戴したのであった。

茹で落花生をアップで。
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これは小粒の落花生である。
千葉県産の落花生の品種は、大きく分けて、焙煎落花生は「半立(はんだち)」と「中手豊(なかてゆたか)」、茹で落花生は「郷の香(さとのか)」と「おおまさり」の4種ある。
「おおまさり」はびっくりするくらいに大粒である。
安房国分寺の住職の話によると、「おおまさり」は安房産が一番ということであった。
安房国分寺の「お接待」で頂戴した茹で落花生は、勿論、「おおまさり」であった。

大勢の観光客(参拝客というべきか)。
普段は人影が殆どないと言っていい程なのだが、『房総のむら ふるさと祭り」の集客力抜群の証かと。
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手前に並んでいる石は、古代寺院、龍角寺仁王門の礎石である。
写真には写っていないが、この礎石に座っている観光客がいた。
この写真を撮るときには気づかなかったが、右奥では礎石をテーブル代わりにしているようであり、左奥では礎石の上に白いダンボール箱が置かれているようであり、右手前の礎石の上には「お接待」で飲んだと思われるコーヒーの紙カップが置かれている。
歴史好きなら、礎石に座るようなことはしないし、物を置いたりはしないだろう。
こういう輩が文化財を駄目にしてしまうんだとか、まあ、ここではそういう固いことは言わないでおこう。
そもそも、この石が古代寺院の仁王門の礎石であることをご存知ないのであろうから...。

秋の風情。
仁王門礎石近くに落ちたドングリの実。
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境内の「栄町観光案内図」に目を通す。
先ほど、堂内で郷土歴史家さんに龍角寺の瓦を焼いていた窯跡の場所を教えて貰ったので、その場所を地図上で確認。
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以前、この近くを通ったことがあり、龍角寺の東側の道を北へ進むと、台地から平地となる大きな傾斜地があり、そこに瓦窯があったのだ。
おおよそ、イメージは出来るのであったが、「窯跡」という意識を持ってその場所を眺めてみたく、龍角寺の北東方面に向かって走る。

傾斜地を眺める。
瓦窯には窯を設えるための傾斜地と、瓦を焼くための木々を調達できる森が必要である。
手前の盛り土の向こう側の傾斜地と反対側の森は、瓦窯があったと思わせる地形である。
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所期の目的であった龍角寺の白鳳期の仏頭(銅造薬師如来坐像頭部)を拝し、大満足の中、龍角寺周辺をあとにして、次の訪問地、旧・本埜村(現・印西市)の「白鳥の郷」へと向かう。

フォト:2016年11月3日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:53 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺(2)』 rk-2 

下総国史跡めぐり。
再びの、龍角寺。

5月21日、市川市立考古博物館で、千葉県印旛郡栄町にある古代寺院、龍角寺の仏頭(複製)を、史跡めぐりの相棒、武衛さんと共に見た。
この仏頭は、龍角寺の本尊である銅造薬師如来坐像(頭部のみ白鳳期の作、体部は火災後、江戸時代に再鋳)の頭部の複製である。
本尊の見学につき、栄町役場に問い合わせたところ、11月3日の「房総のむら ふるさと祭り」の際に見学可能であることがわかった。
11月3日の本尊見学に先立ち、7月2日、相棒の武衛さんを龍角寺に案内。
そして、いよいよ、龍角寺の本尊を拝する11月3日がやって来た。

この日のポタリング・コースは;
JR安食駅
~龍角寺
~白鳥の郷
~我孫子市布佐/岡田武松邸跡、「凌雲堂医院」跡、竹内神社
~※途中、追加:往路、成田線の車窓から見た布佐/宮ノ森公園「我孫子国際野外美術展」へ
~利根町役場/古代の道、東海道駅家「於賦駅」比定地
~布佐、手賀川CR、手賀沼CR
~我孫子駅

白鳳期の古代寺院、龍角寺。
7月以来、約4ヶ月ぶり、今年3度目の訪問である。
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本堂。
普段はこの正面からお参り。
ガラス越しに、写真の本尊を拝するのである。
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本堂の脇の入り口から中へ入る。
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本堂とは名ばかりの質素な建屋、そして、その奥に奉安殿と称される収蔵庫はいつも外から見慣れている風景であるが、本堂の中へ入るのは今回が初めて。

本堂内は6畳くらいの畳敷きの部屋である。
既に、数人の見学者(参拝者というべきか)が座っている。
我ら二人も座らせて貰う。
普段は閉じられている正面の奉安殿の扉(土蔵の扉を想像すれば分かり易い)が開かれている。
ご本尊を拝す。
遂に、念願が叶う。
郷土史家らしき人の懇切丁寧な説明を拝聴する。
堂内と奉安殿内部は撮影禁止。
勿論、ご本尊も撮影禁止。
堂内で買い求めた絵葉書(撮影:山岸桂二郎氏)を拝借し、本ブログでの掲載資料とさせて戴く。

龍角寺本尊、銅造薬師如来坐像。
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国重要文化財、頭部のみ白鳳期の作、体部は火災後、江戸時代に再鋳。

薬師如来坐像のお顔をアップで。
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この絵葉書の左上に奉安殿の天井画が見られる。
天井画は、龍角寺に相応しい「龍の図」である。
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龍のコレクションをしている小生にとって、そして、「印旛沼の龍伝説」を幾度もブログに綴っている小生にとって、この天井画を観ることが出来たことは誠に嬉しいことである。

奉安殿内には薬師如来と共に十二神将が安置されている。
十二神将/寅神。
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十二神将/辰神。
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龍角寺縁起、銅造薬師如来坐像、塔址、出土瓦の絵葉書。
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絵葉書に書かれた説明書きは次の通り。
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龍角寺は、龍角寺縁起によれば、和銅2年(709)に竜女が化来し、一夜にして堂塔を建立したため、龍閣寺と呼ばれたが、天平3年(731)に慈雨を降らせた竜の頭が落ちてから、龍角寺と改めたといわれています。

本尊「銅造薬師如来坐像」は関東地方に残る希少な白鳳仏として、国の重要文化財に指定されています。
考古学的な研究成果からは、龍角寺は房総最古の瓦葺寺院であり、縁起のいう創建年よりも50年ほど遡った7世紀後半、大化の改新後、数年から数十年のうちに、印波国造の氏寺として建立されたと考えられています。

塔跡は、現本堂跡の東約13間(約23.4m)にあり、筑波山系の花崗岩製と考えられる心礎を残しています。
心礎は長径(2.49m)、短径(2.03m)、表面を削平し、中央に直径(外径81.8cm、内径66.6cm)、深さ(12.1m)の円孔が穿たれており、その両側の表面には水気抜の小溝を刻んでいます。
なお、雨のときも日照りの時も、心礎の穴にたまった水が増減しない「不増不滅の石」として、龍角寺の七不思議の一つに数えられえています。

境内から出土した「三重圏線文縁単弁八葉蓮華文」の鎧瓦や「麻布(今の麻生)」「服止部(今の羽鳥)」等と刻まれた文字瓦は、7世紀後半に比定され、千葉県の有形文化財に指定されています。
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塔址アップの絵葉書。
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こちらの絵葉書の説明書きは次の通り。
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印旛沼北東の台地上に所在。
本尊は国指定重要文化財の銅造薬師如来坐像で白鳳仏として有名。
建立は境内から出土した瓦から7世紀後半と考えられ、関東地方で最も古い寺である。
伽藍配置は金堂と塔が東西に並んでいることから「法起寺式」と呼ばれている。
塔跡は昭和45年の発掘調査で1辺約10.8mの基壇をもつことが確認された。
また、文化5年(1808)写本の「龍角寺縁起」によれば、永和3年(1377)に三重塔の修理を行った記事があることから、創建時から三重であたと考えられている。
高さは33mと推定される。
現在も残っている礎石である心礎は長径2.49m、短径2.03mの花崗岩で中心のやや西寄りに舎利を納めた穴がある。
孔は2段に造られ、外径81.3cm、内径66.6m、深さ12.1mを測る。
また、2条の排水用の溝が彫られている。
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龍角寺の古代瓦/龍角寺・龍角寺五斗蒔瓦窯跡・龍角寺窯跡・龍角寺遺跡群出土/栄町教育委員会蔵。
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2葉の絵葉書に記された文章は、まことに簡潔で、分かり易く書かれた説明である。
これまで、境内の説明板や房総風土記の丘資料館の展示でベンキョーして来たこともあり、すっと内容が入って来るのかもしれないが...。

文中に「龍角寺の伽藍配置は金堂と塔が東西に並んでいることから『法起寺式』と呼ばれている」とある。
これは、今回、初めて知ったことである。
法起寺の最寄駅はJR法隆寺駅、斑鳩の里、西から東に法隆寺、中宮寺、法輪寺、そして、法起寺などの古代寺院が並ぶ。
法隆寺と中宮寺は訪れたことがあるが、法起寺は訪ねたことは未だない。
法起寺の三重塔は慶雲3年(708)の建立、三重塔としては日本最古。
もう一度、斑鳩の里の古代寺院をめぐってみたいものである。

関東の<三大古代寺院>は、ここ、龍角寺と深大寺(東京都)、下野薬師寺(栃木県)と理解している。
郷土史家さんの説明の中で「龍角寺が最も古い」との言があった。
絵葉書の説明書きの中にも「建立は境内から出土した瓦から7世紀後半と考えられ、関東地方で最も古い寺である」とある。
念のため、三つの古代寺院の創建年を整理してみた。
・龍角寺の創建年は「龍角寺縁起によれば、和銅2年(709)に竜女が化来し、一夜にして堂塔を建立した」
 とあり、また、「出土瓦から7世紀後半と考えられる」とある。
・深大寺の創建年は「伝・天平5年(733年)」とされている。
・下野薬師寺の創建年は天武天皇から持統天皇の代(673年-697年)など諸説ある。
龍角寺、下野薬師寺、深大寺の順と理解しておきたい。

薬師如来の印相「施無畏与願印(せむい よがんいん)」についても説明があった。
施無畏与願印は右手を施無畏印にし、左手を与願印にした印。
坐像の場合は左手の平を上に向け、膝上に乗せる。
与願印を示す左手の上に薬壷が載っている。

ちょうど、上総国史跡めぐりで見た路傍の馬頭観音の印相について調べたばかりであったので、薬師如来の印相の説明を興味深く拝聴した。

郷土史家さんの印相の説明の中で、親指と他の指の先を合わせて輪を作る「転法輪印(てんぽうりんいん)」の説明もあった。
そのとき、「お金」を示すものじゃありません、との冗談も。
郷土史家さんの説明は、ずっと真面目な話が続いた中での、唯一、言われた冗談であり、彼の精一杯のサービスであったろうことをここに特記しておきたい。
なお、時と場合によるが、小生は、冗談は不要で、アカデミックな解説が好き!
NHKは科学番組や歴史番組で冗談を交える傾向にあるが、そうしたことは民放に任せ、英国BBCを見習い、純アカデミックな作風とするべきといつも思っている。

堂内の隅に机が置かれ、絵葉書や資料が置かれていた。
机の前に座っている人の胸に名札があった。
栄町役場の職員さんのAさんであった。
「Aさん、おはようございます。5月に龍角寺の仏頭の見学について電話させて貰った者です。その節は有難うございました。本日、ようやく、念願が叶いました」と挨拶。

絵葉書を購入。
本尊2種、天井絵、寅神、辰神、古代瓦と、本ブログには未掲載の盾持ち埴輪の都合7枚を購入すると、龍角寺の解説が記された葉書2種とこれも本ブログ未掲載の龍角寺古墳群の解説が記された葉書はサービスだと。
全部、頂戴した。
併せて、五十嵐行男著『龍のきた道 下総國 龍角寺・龍腹寺・龍尾寺 縁起集成』も購入した。
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序のページだけここに引用しておきたい。
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はじめに
下総國の名刹、龍角寺・龍腹寺・龍尾寺に伝わる、いにしえ、旱魃に苦しむ民を救うために雨をふらせた龍が、龍王の怒りをかい、身を三つに引き裂かれて天空から追放され、落ちた寺が改号したと伝えられる仏教説話は、どのようにして成立し語りつがれ、下総へ何時たどり着いたのであろうか。
三山縁起とそれに連なる説話を集大成した。
※本書で用いる「りゅう」の文字は、原点の如何を問わず、すべて「龍」とした。特に理由はない。
  編者の龍に寄せる思い入れである。
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龍角寺(印旛郡栄町)と龍腹寺(印西市)は印旛沼周辺、一方、龍尾寺(匝瑳市)は印旛沼からは随分と離れてた九十九里浜近くにある。
以前、『印旛沼の龍伝説』と題し、ブログで綴ったことがある。
それは何時の頃であったるかとブログを繰ってみた。
2011年7月31日付けで綴っていた。
「印旛沼の龍伝説」
龍尾寺は未訪問であり、龍尾寺も訪ね、「角」「腹」「尾」の三寺訪問を達成したいと書き、ずっとそう願って来たが、未だ、龍尾寺を訪ねるに至っていない。

栄町役場の職員、Aさんから「今月6日、龍腹寺で60年に一度の地蔵尊の<開扉>が催される」との情報を得た。
この日の龍角寺の本尊参拝に続き、6日の地蔵尊<開扉>にも参ることにした。
となれば、いよいよ、匝瑳市へ赴き、龍尾寺を訪ねねばならないと固い決意をするのであった。
その前に、五十嵐行男著『龍のきた道 下総國 龍角寺・龍腹寺・龍尾寺 縁起集成』の龍尾寺縁起に目を通しておこう。

フォト:2016年11月3日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:52 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)
2016年 11月 04日

『下総国史跡めぐり/再びの、龍角寺(1)』 rk-1 

下総国史跡めぐり。
11月3日、龍角寺を訪ねた。
これで、龍角寺訪問は、今年だけで、3度目。

これまで龍角寺は幾度も訪ねているが、年間3回というのは<新記録>だ。
<新記録>の相棒は、ドラポタの盟友、武衛さん。
<新記録>の要因は、昨年(2015年)の秋から武衛さんと共に始めた「国府跡・国分寺跡・総社めぐり」から、更に国分寺以前の古代寺院にも興味が広がったことである。

11月3日の龍角寺訪問のことを綴る前に、そこへ至る経緯について、少々触れておきたい。

5月21日、下総国府跡・国分寺跡・総社めぐり。
その途中、市川市立考古博物館に立ち寄った際、こんな展示を見た。
「第5室 律令の社会/ROOM V Society under the Rituryo system」。
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龍角寺の仏頭。
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龍角寺の仏頭は飛鳥山田寺の仏頭とよく似ていると武衛さん。
武衛さんは、興福寺蔵の山田寺の仏頭を見たことがあるという。
そんな話をしている中で、武衛さんは jitensha クラブの名前の由来のひとつでもある龍角寺に行っていないことが判明。
ということで、後日、龍角寺ポタリングを企画することとした。
或る資料に「銅造薬師如来坐像(頭部のみ白鳳期の作、体部は火災後の再鋳)は龍角寺奉安殿と称される収蔵庫に収められており、拝観には栄町役場への事前予約が必要」とあったので、栄町役場に電話してみた。
「東日本大震災のあと、住職から見学は見合わせて欲しいとの申し入れがあり、現在も見学は不可ながら、11月3日の『房総のむら ふるさと祭り』のときに見学できるようにする」とのことであった。

5月21日の市川考古博物館訪問の詳細については、2016年6月26日付けブログで縷々綴っている。
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「下総国史跡めぐり/市川考古博物館」

龍角寺の薬師如来像のご尊顔を拝するのは、別途、11月3日のポタリング企画とし、それに先立ち、7月2日、龍角寺方面へポタリングに出掛けた。
この日のコースは;
JR安食駅
~龍角寺
~龍角寺古墳群
~県立房総風土記の丘資料館
~「房総のむら」
~龍腹寺
~JR小林駅

7月2日の、龍角寺。
奈良時代に建立された古代寺院として歴史的価値のある寺。
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本尊薬師如来像(国重要文化財)。
頭部のみ白鳳期の作、体部は元禄5年(1692年)の火災後の再鋳。
これは、拝殿内に掲示された写真(外から窓ガラス越しに撮影)。
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本尊薬師如来像。
これは、境内の案内板に掲示された写真。
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7月2日の龍角寺訪問の詳細は2016年7月22日付けブログで縷々綴っている。
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「下総国史跡めぐり/龍角寺」

7月2日の、県立房総風土記の丘資料館。
古代寺院のコーナー。
「受け入れられた仏教」。
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龍角寺。
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龍角寺の仏頭(複製)。
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「ただ今、実物資料貸出中です。大変ご迷惑をおかけします」。
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銅造薬師如来坐像(写真)。
仏頭は奈良時代の作、体部は元禄5年(1692年)の火災後の再鋳。
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龍角寺の仏頭の展示の隣に深大寺の釈迦如来の姿が。
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龍角寺の仏頭と同時期のものであるという大和山田寺の薬師如来仏頭(複製)も展示されていた。
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ここで、もう一度、龍角寺の薬師如来仏頭に登場戴こう。
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複製や写真ではあるが、計らずも、ここで、白鳳時代の龍角寺・深大寺・山田寺の仏頭・坐像三体を拝することが出来た。
勿体無くも有難いことである。

房総の古代寺院/古代瓦のコーナー。
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7月2日の房総風土記の丘資料館見学の詳細は、2016年7月24日、26日付けブログで縷々綴っている。
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「下総国史跡めぐり/房総風土記の丘資料館/龍角寺」
「下総国史跡めぐり/房総風土記の丘資料館/古代瓦」

そして、翌週の7月8日、再び、龍角寺と房総風土記の丘資料館へ。
前の週に「房総風土記の丘資料館」で撮った古代瓦の説明書きの一部が読み取れず、yome を龍角寺に案内した後、再び、風土記の丘資料館へ赴き、説明書きの内容を再確認した。
これで、龍角寺訪問は、今年2度目と相成った。

そして、いよいよ、龍角寺の本尊を拝する11月3日がやって来た。

フォト:2016年5月21日、7月2日(アーカイブより)

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-11-04 23:51 | 下総国史跡めぐり | Comments(0)