上総守が行く!(二代目)

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2016年 12月 11日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2016/高輪泉岳寺』 tys-6

12月10日(土曜)。
朝、本所松坂町吉良邸跡を訪ね、高輪泉岳寺に向け、出発。
途中、赤穂浪士ゆかりの地や全く無関係な地など、あちらこちらに立ち寄りながら、午後3時過ぎ、高輪泉岳寺に到着。

泉岳寺。
中門。
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門の脇に建ったマンションは時間を経て、景色に溶け込んで来たかな?

山門。
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扁額コレクション。
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武衛さんと南国守さんの姿、そして、その向こうには内蔵助さんの姿も。
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大石内蔵助像。
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「12月14日 泉岳寺義士祭」、「NHK土曜時代劇 忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣」、「国立劇場開場50周年記念歌舞伎公演 仮名手本忠臣蔵 三ヶ月連続完全通し上演」。
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本所松坂町の「元禄市 吉良祭 義士祭」は12月14日もしくはその前後の土日曜に催されるが、泉岳寺の義士祭は、曜日に拘らず、必ず12月14日に催される。

武井咲ちゃん主演の「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」は、前話の新橋・新正堂の項で縷々述べたのでここでは控えたい。

この国立劇場開場50周年記念歌舞伎公演のポスターを見て思い出すのは、10年前のことだ。
国立劇場開場40周年記念歌舞伎公演として、2006年10月、11月、12月に、真山青果作「元禄忠臣蔵」の全編通し上演に通ったことだ。
このときの通し上演は、大石内蔵助を勤める役者が毎月替わるというぜいたくなもので、10月の第一部は中村吉右衛門、11月の第二部は坂田藤十郎、12月の第三部は松本幸四郎であった。
中村吉右衛門が一番ええなあと思った。

義士祭は数日後ながら、参拝客は多い、赤穂浪士ファンは多い。
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ひとしきり、人通りは絶え、アマチュア画家さんは絵に集中。
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香炉。
これまでは本堂前の香炉のみであったと記憶するが、境内中央に真新しい香炉が登場。
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本堂。
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斜めからの姿も撮っておこう。
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浪士らの墓所へと進む。
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墓所。
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右から、浪士らの墓所とは別の区画に一際、大きく見える墓石が浅野内匠頭の墓、中央に見える囲いがされた墓は大石内蔵助の墓、左に見える囲いのされた墓は大石主税の墓。
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主従の墓をアップで。
「従」の方がメインの写真ではあるが...。
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浅野内匠頭と内匠頭夫人(瑶泉院・阿久里)の墓。
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1999年10月に本所松坂町吉良邸から高輪泉岳寺までの「赤穂浪士討入凱旋の旅」で泉岳寺を訪ねたときのことを次の通り綴っている。
因みに、当時は jitensha の趣味はなく、徒歩での討入凱旋の旅であった。
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さて、いよいよ“赤穂浪士討ち入り凱旋の旅”の最終地、泉岳寺です。浪士たちも疲れたでしょうが、小生も歩き疲れました。
疲れが影響してか、はたまた、浪士たちのことを思いを巡らせたからか、これまで歩いて来たところではいろいろ写真を撮りましたが、浪士たちのお墓の写真を撮る気にはなれず、お墓の配置を記したものを写真に収め、大石内蔵助以下のお墓に合掌。
内蔵助および主税のお墓は別格の造り。
他の皆々は小振りのお墓。
内蔵助の戒名は“忠誠院刃空浄剱居士”と九文字の立派なもの。
その他の皆々は“刃”と”剱”と“信士”が織り込まれた六文字の戒名。
因みに、二度もお家断絶に遭った奥田孫太夫の戒名は“刃察周剱信士”。
墓の造りと言い、戒名と言い、主従の関係は厳しいものと思った次第。

内匠頭の墓は浪士たちとは別の設えで、戒名は“冷光院前少府朝敢大夫吹毛玄利大居士”と随分、立派なもの。
映画や小説で、内匠頭の没後、「冷光院様におかれましては...」との言い様がありますが、フルに記すと前述の通り。
戒名の意味は不詳なるも、“冷たい光”は何となくあの殿様らしい戒名だなあと思う次第。

内匠頭が刃傷に及んだ理由については諸説があり、ここでは詳しくは触れませんが、最も一般的な説に従えば、何故、あの場で家来や所領のことを考え、堪えに堪えることが出来なかったのかと或る意味でバカ殿様と思う次第。
しかしながら、今様で言うならベクトルをひとつにして志を遂げた内蔵助を筆頭に「忠臣蔵」に出てくる人達は吉良も含めみんな好きですし、内蔵助の戒名は忠誠院となっており、そうした内蔵助に免じてバカ殿様との言い方は撤回。
あの事件がなければ、赤穂も浅野も吉良も歴史には残らなかったでしょうし、歌舞伎、演劇、映画、小説、TVドラマ、はたまた唄の題材にもならなかったでしょうし、更に日本人の気質を海外に伝える史実も残らなかったでしょうし………。
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山門脇の、松の木。
ここで見る松の木は、どうしても江戸城松の大廊下を思い起こさせる。
12月14日の義士祭に備えての化粧直しに余念のない三人の庭師の姿が見える。
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こうして、2016年の「赤穂浪士討入り凱旋の旅」を無事終えることが出来たのであった。

フォト:2016年12月10日

(完)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-12-11 23:36 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)
2016年 12月 10日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2016/新橋・新正堂』 tys-5

12月10日(土曜)。
本所松坂町吉良邸跡を訪ね、高輪泉岳寺に向け、出発する。
途中、あちらこちらに立ち寄りながら...。

寄り道のメインの(というのも変だが)、豊洲新市場を<視察>したのち、再び、高輪泉岳寺を目指し、走る。

晴海大橋を南から北へ渡る。
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先ほど、新交通ゆりかもめ/新市場駅のコンコースから眺めた、晴海埠頭と豊洲埠頭を結ぶ道路橋を真横から臨む。
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橋桁に黒い文字が見える。
目を凝らすと「とよすおおはし」と書かれている。
今、渡っている橋が「晴海大橋」、そして、向こうに見えるのが「豊洲大橋」。
晴海埠頭と豊洲埠頭を結ぶ二本の橋の名は不公平がないように命名されているのだ。
因みに、もうひとつ、上(かみ)にある橋の名は「春海橋」である。
「春」に「海」と書いて、「はるみ」である。
春海橋、晴海大橋、豊洲大橋、三つの橋の名と順序をしっかりと覚えておこう。

晴海通りを走る。
東銀座の天麩羅屋で昼餉を摂る。

「赤穂浪士討入凱旋の旅」での立ち寄り先として、絶対に外せない場所、二ヶ所に立ち寄る。
順序が逆かもしれないが、先ず、新橋・新正堂へ。
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恒例の、切腹最中。
「各々方、討ち入りでござる」の長谷川一夫の姿と共に、芥川也寸志作曲のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲が店頭に流れる...。
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贈り物として宅配便を手配、そして、自家用は潰れてはらわたが出ないようにそろっと背嚢の中へ。

NHK土曜時代劇「忠臣蔵の恋 四十八人目の忠臣」。
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NHKは大河ドラマで「赤穂浪士」(1964年)、「元禄太平記」(1975年)、「峠の群像」(1982年)、「元禄繚乱」(1999年)を放送、そして、今年は武井咲ちゃん主演で土曜時代劇「忠臣蔵の恋 四十八人目の忠臣」、全20回を放送中。

新正堂の次は、「浅野内匠頭終焉之地」碑である。
環ニ通りの新正堂から日比谷通り新橋四丁目交差点へ。

「浅野内匠頭終焉之地」碑。
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環ニ通り(マッカーサー道路)建設中は、碑は東京都預かりとなっていたと聞く。
道路工事が終わり、再び、設置された碑を見たとき、真新しい感じであった。
東京都預かりになっていた古い碑ではなく、新たに造られた碑だと思った。

1999年12月、初めて、「浅野内匠頭終焉之地」碑を見たときのことを赤穂浪士討ち入り凱旋の旅<番外編>」の中で次の通り綴っている。
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<田村邸跡・浅野内匠頭終焉の地>
 12月11日、JR新橋駅を降り、日比谷通りを増上寺方面へ。この界隈は、今は新橋何丁目と呼ばれているが、昭和40年代頃までは確か田村町と呼ばれていたはず。浅野内匠頭がお預け、切腹となった田村右京太夫の屋敷がここらあたりにあったことから田村町と呼ばれていたのであろう。
 日比谷通りを増上寺方面へ数分歩くと「史蹟 田村屋敷跡 浅野内匠頭終焉之地」と刻まれた碑がひっそりと並木の下にあった。訪れたのは12月だったので、サクラの季節にはまだ早かったが、内匠頭が辞世「風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を 如何にとか(や)せん」と詠んだのは、旧暦の3月14日。芝居のシーンだけでなく、本当に切腹のときには、桜花が散り咲いていたのであろう。内蔵助は、内匠頭の遺書「この段兼ねて知らせ申すべく候得共、今日やむ事を得ず候ゆえ、知らせ申さず候、不信に存ず可く候」と辞世「風さそう………」を重ね合わせ、主君の心中を推し測り、仇討ちの決意に至った。
 余談ながら、新橋の某クラブの女将の話によれば、「切腹最中」と名付けられた和菓子があるそうだ。店は新橋の「新正堂」とのこと。内匠頭の命日である3月14日頃の季節限定発売で、餡が最中の皮の外にタラリと出ていると聞く。残念ながら筆者はこれを食したことがないので、真偽のほどは定かではないが……。
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文中にある「新橋の某クラブ」は、環ニ通り(マッカーサー道路)建設で立ち退きとなり、今はない。
このクラブに通っていたのは1980年代から90年代に掛けてのことであるから、30数年前の<昔話>である。
因みに、切腹最中は、今は季節限定ではなく、年中あることを念のために申し添えておこう。

さあ、高輪泉岳寺まで、もう一息だ。

フォト:2016年12月10日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-12-10 23:35 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)
2016年 12月 10日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2016/豊洲新市場(下)』 tys-4

12月10日(土曜)。
本所松坂町吉良邸跡を訪ね、高輪泉岳寺に向け、出発する。
途中、あちらこちらに立ち寄りながら...。

豊洲新市場。
ここが、この日の、途中、立ち寄り先のメイン。
ゆりかもめ市場前駅周辺、豊洲市場有明北橋門などを<視察>。
若いガードマンさんの勧めにより、富士見橋方面へ走る。

豊洲市場管理施設棟と通り過ぎると、「東京都中央卸売市場 豊洲市場」と堂々とした文字が目に飛び込んで来た。
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ここが正門なのだ。
だが、入口は、無残にも(???)、不細工な、白い板壁で閉じられている。
輝かしい朝日なのに、これも皮肉に感じてしまう。

更に走ると、次に、富士見橋門が現れる。
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だが、入口は虎マークのバーで閉じられている。
真っ白な道路は、本来なら、既に黒くタイヤ跡がついていたであろうが、いつまで、このまま、この真っ白さが続くのであろうか...。

富士見橋門に立ち、後方を振り返る。
(後に分かることだが、右の建物は水産卸売場棟、左の建物は水産仲卸売場棟)
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豊洲市場の建物群を過ぎると、緑地が現れる。
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緑地の中にモニタリング・ポストらしきものが見える。
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富士見橋北詰に至る。
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富士見橋を渡ると緩やかな下り坂。
右手に、左手にマンション群、前方に有明スポーツセンター、右手に「大和ハウス」と「ユニクロ」のマークの物流倉庫、そして、木村屋總本店東京工場...。

「なかなか、気持ちのよいコースですなあ」。
「都内ポタリング・コースも走り尽くしたかと思っていましたが、まだまだ、いいところがいっぱいありますね」。

若いガードマンさんのアドバイス通り、下りきったところにある横断歩道を反対側へ渡り、再び、富士見橋方面へ。
今度は、緩やかな上り坂だ。

富士見橋南詰に至る。
ここから、若いガードマンさんお勧めの<素晴らしい景色>が始まるのである。
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こうやって、都心のビル群を眺めながら、ビルの名前をひとつずつ解明していくのもパズルと解くようで面白いなと思うのであった。
そして、ゴジラの気持ちになって、「何じゃ、この壁は?これじゃ、東京湾から上陸できねぇじゃねぇか」と思うのであった。

富士見橋南詰から豊洲新市場を眺める。
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橋を渡りきると、都道484号線は右へ大きくカーブし、右手に水産卸売場棟を眺めながら、左手の水産仲卸売場棟を通り過ぎ、新交通ゆりかもめ/市場前駅交差点に。

市場前交差点(北東角から眺める)。
前方の建物は豊洲市場管理施設棟、左へ曲がる高架は有明方面へ向かう新交通ゆりかもめ、三方(実際は四方)に架かる陸橋は歩行者デッキ。
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晴海大橋南詰交差点方面へと走る。

途中、左手に、楕円形のビル、東京ガス豊洲スマートエネルギーセンターが目に入る。
一昔前、この辺りは空き地だらけで、東京ガスの大きな駐車場があったと記憶する。
2006年と2007年の両年に参加した東京シティサイクリグは、都庁をスタートし、ここ、豊洲の東京ガス駐車場が折り返し地点で、水やバナナを貰い、ゴールの神宮外苑絵画館前を目指したのであった。

その頃から比べると、豊洲新市場をはじめとしてこの辺りは随分と様変わり。
そして、向こう隣りの有明は2020年の東京オリンピックに向け、更に変わって行くだろう。
このコースは今後の都内ポタリングのコースとして外すことは出来ない。

フォト:2016年12月10日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-12-10 23:34 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)
2016年 12月 10日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2016/豊洲新市場(上)』 tys-3

12月10日(土曜)。
本所松坂町吉良邸跡を訪ね、高輪泉岳寺に向け、出発する。
途中、あちらこちらに立ち寄りながら...。

豊洲新市場。
ここが、この日の、途中、立ち寄り先のメイン。

土壌汚染対策として盛り土されることとなっているものが、今夏、建物地下は盛り土されていないことが発覚し、問題化。
小池都知事は11月7日に予定されていた築地から豊洲への移転を延期と発表。
夏以来、連日、TVニュースで登場する豊洲新市場とは、いったい、どんなものなのか、<現場主義>の小生、一度、この目で見ておきたいと思い、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の企画に織り込んだのであった。

東京臨海新交通臨海線「市場前駅」。
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東京臨海新交通臨海線、舌を噛みそうな路線名だが、早い話が「ゆりかもめ」である。

数年前、この辺りをポタリングしたとき、周囲は野原や空き地が広がるだけ。
いつになったら、名実ともに市場前駅になるんだろうと話したことがあった。

先ず、高いところから周辺を見渡してみることにした。
階段を上り、改札口に続くコンコースから周辺を眺める。
晴海方面。
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東京タワーが見えますね。
何処に?
左の端の方に。
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手前の橋は、虎ノ門方面から汐留付近まで通じている環状2号線(環ニ通り、都道405号線、マッカーサー道路)の延伸工事が行われており、汐留から築地市場の脇を通り、隅田川を渡り、晴海埠頭を抜け、晴海埠頭と豊洲埠頭を繋ぐのがこの橋である(グーグル・マップの航空写真を見るとよく分かる)。
右手は晴海のマンション群、左手奥は汐留のビル群、更にその左に東京タワー。

反対側の豊洲新市場を眺める。
右、正面、左の順に。
改札口からコンコースを通り、豊洲市場駅前交差点に続く歩行者デッキへ向かう通路が設けられているが、今は閉鎖。
場内は、言うまでもなく、閑散としている。
(後ほど、分かることだが、ここは青果棟の構内)
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階段を下り、再び地上へ。
都道484号線を挟んで、ゆりかもけの高架を額縁にして晴海のマンション群が見える。
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市場駅前交差点。
直進方向は都道484号線、左方向も都道484号線。
直進方向の高架は横断陸橋、左方向に曲線を描く高架は新交通ゆりかもめ。
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さて、報道では水産卸売場棟と仲卸売場棟の間が道で分断されており、不便だとか報道されているが、何棟が何処に位置しているのかさっぱり分からない。
配置図を探すも、そういうものは見当たらない。
市場駅前交差点の角にある表示が目に入る。
「左、豊洲市場(見学ギャラリー)」、「左、ゆりかもめ市場前駅」、「右、水産卸売場棟入口」。
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先ずは、左の方へ行ってみる。
ガードマンが立っている。
若いガードマンさんだ。
市場の配置を聞いてみようと近づくと、相手方さんから先に「自転車の人たちへのお勧めコースは、この道を向こう(南西)の方へ走るといいですよ。富士見橋を渡って、次の信号を反対側に渡り、再び、こちらへ戻ってくるコース。富士見橋からの眺めが素晴らしいですよ」と。
「アドバイス、感謝です。そちらの方へ走ってみます」。
気が弱いものだから、市場を配置を聞く切っ掛けを失ってしまった。

「若いガードマンさん、ありゃー、気の毒だね」。
二人で勤務なら雑談も出来るでしょうが、一人じゃ寂しいだろうね」。
「寂しいから、向こうから声を掛けて来たんだろうね」。

ガードマンさんのお勧めコースを走る前に、市場衛前交差点を左折し、新交通ゆりかもめの高架沿いに走る。
左手に「有明北橋門」が見えて来た。
前を通り過ぎ、有明北橋の北詰から豊洲市場を眺める。
(後に分かることだが、右から、管理施設棟、冷蔵庫棟、水産卸売場棟)
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新交通ゆりかもめを眺めながら、再び、市場前駅交差点へ向け、走る。
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市場前駅交差点。
若いガードマンさんの勧めに従い、富士見橋方面へ走る。
(左の建物は、管理施設棟。後に分かることだが、左の建物は加工パッケージ棟とそれに続く仲卸売場棟)
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フォト:2017年12月10日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-12-10 23:33 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)
2016年 12月 10日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2016/隅田川左岸から豊洲へ』 tys-2

12月10日(土曜)。
本所松坂町吉良邸跡を訪ね、高輪泉岳寺に向け、出発する。
途中、あちらこちらに立ち寄りながら...。

回向院。
浪士たちは、討入後、幕府や上杉家の動きを見極めようと、一先ず、回向院に立て篭ろうとしたが、、断られたという。

回向院の力塚。
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相撲関係石碑群<力塚>
墨田区と相撲の関わりは、明和5年(1768)9月の回向院における初めての興業にさかのぼります。
以後、幾つかの他の開催場所とともに相撲が行われていました。
天保4年(1833)10月からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興業が開かれ、賑わう人々の姿は版画にも残されています。
明治時代に入っても、相撲興業は回向院境内で続いていましたが、欧風主義の影響で一時的に相撲の人気が衰えました。
しかし、明治17年(1884)に行われた天覧相撲を契機に人気も復活し、多くの名力士が生まれました。
そして、明治42年(1909)に回向院の境内北に国技館が竣工し、天候に関係なく相撲が開催できるようになり、相撲の大衆化と隆盛に大きな役割を果たしました。
力塚は、昭和11年に歴代年寄の慰霊のために建立された石碑です。
この時にこの場所に玉垣を巡らせ、大正5年(1916)に建てられた角力記と法界万霊塔もこの中に移動しました。
現在は、相撲興業自体は新国技館に移りましたが、力塚を中心としたこの一画は、相撲の歴史が76年にわたり刻まれ、現在もなお相撲の町として続く両国の姿を象徴しています。
平成11年3月
墨田区教育委員会
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相撲好きにとっては、ここ、回向院と門前仲町の富岡八幡宮はなかなか魅力的な場所である。

芭蕉記念館。
芭蕉庵を模した祠あたりからの隅田川の風景が好きだ。
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清洲橋と遊覧船。
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芭蕉庵史跡展望庭園。
隅田川を眺める芭蕉翁。
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清洲橋を眺める。
左から流れ込むのは小名木川。
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永代橋東詰め/乳熊ビル。
元・味噌屋の建物は19階建てにマンションに変貌中。
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マンションに変貌中なれど、旧ビル前に建立された碑「赤穂義士休息の地」は安泰。
喜ばしい。
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赤穂義士休息の地
赤穂四十七士の一人大高源吾守葉は俳人としても有名でありますが、ちくま味噌初代竹口作兵衛本浄とは其角の門下として徘界の友でありました。
元禄15年(1702年)12月14日、本所松坂町(現 墨田区両国3丁目)の吉良邸討入本懐を遂げた後、大石内蔵助率いる義士達が一ツ目通りを引き上げの途中、永代橋へ差し掛るや、あたかも當所乳熊屋味噌店の上棟の日に當り作兵衛は一同を店に招き入れ甘酒粥を振る舞い労を労ったのであります。
大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残し泉岳寺へ引き上げて行ったのであります。
昭和28年(1953年)2月 
ちくま味噌16代 竹口作兵衛識
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「門前仲町に19階建ての新たなランドマーク、誕生」。
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「金山寺味噌は?」。
「製造工場が焼けまして...」。
「そうでしたね、去年も同じことを聞きましたね」。
「マンションは、いつ、完成ですか?」。
「2018年です」。
「そうでしたね、去年も同じことを聞きましたね」。

永代橋を渡る。
大川端リバーシティ21を眺める。
これも「討入凱旋の旅」の楽しみのひとつである。
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晴海大橋を渡る。
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晴海大橋南詰め。
大勢の若い人の姿が。
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「何か、イベントがあるんですか?」。
「Toyosu PIT でヘキサゴンのコンサートがあるんです」。
「ヘキサゴン?」。
「韓国のグループです」。
「応援グッズは?」。
「持ってますよ」(と、バッグから紫色の六角形のキラキラした団扇状のものが出て来た)。
「大統領も来るんですか。ヒマやろし」。
ワハハハッと大きな笑い。
おっちゃんのワルイ冗談に反応してくれた。
「楽しんでくだされ。あばよっ」。

豊洲新市場に至る。
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フォト:2016年12月10日

(つづく)
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# by kazusanokami-2nd | 2016-12-10 23:32 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)